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飯塚事件の裁判(昭和39年5月1日〜昭和45年11月11日)-2

6年6ヵ月に及ぶ長期裁判

産経新聞・昭和45年11月12日発行

飯塚事件の裁判は、昭和39年5月1日の第1回公判から、判決の下された昭和45年11月11日まで、6年6ヵ月にわたって、約70回の公判が行われた。その間の証人数も多く、裁判が始まってから3年目の昭和41年の地元新聞(『栃木新聞』1月24日号)には、 「証人数は百人前後にのぼると見られ、宇都宮地裁で扱った一つの刑事事件では戦後最高の記録となりそうだ」と報じられた。裁判が長期化した理由は、検察側が証拠物の開示を一部を除いて拒み、百人近い証人によって公訴事実を立証しようとしたことに大きな原因があった。

これに対して、弁護側は証拠物の全面開示と裁判の迅速化を当初から訴え続け、後半になって検察側が立証方針を切り替えて、ようやく迅速化が図られた。

全員無罪

長期間に及ぶ裁判は、ようやく結審し、昭和45年11月11日、宇都宮地方裁判所第一刑事部において「法人税法違反教唆事件」つまり飯塚事件裁判の判決が下された。

判決文は、「右四名に対する各法人税法違反教唆、証拠湮滅被告事件につき、当裁判所は、検事管今井良次、弁護人佐久間渡、同大野正男、同司波実、同菊地三四郎出席のうえ審理し、次のとおり判決する。 主文、被告人ら四名いずれも無罪」とされた。

判決言い渡しの瞬間、「初めて被告人諸君の顔に喜色がみなぎった」と大野正男弁護士は記述している。 (『飯塚事件における税務調査と捜査』)全員無罪のニュースは、翌日の『産経新聞』栃木版、『下野新聞』等に報じられた。

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