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飯塚毅博士と私-1

威厳と含羞と

新日本監査法人特別顧問・麗澤大学教授(財)租税資料館評議員 矢澤富太郎

 

飯塚毅先生は、威厳のあるお顔つき、率直、明解な語り口の方でしたが、たまに口をすぼめ気味にしてはにかまれるとき、その眼差しの優しく暖かかったことが印象的でありました。

私がTKC全国会の皆さんとお近づきになったのは、昭和57年の夏、東京国税局長になって間もなく、かねて面識のあった佐野鑛治さんが宮崎健一さんや寺田昭男さんらと来訪し、管内の税務署で書面添付の書類を受け付けてほしいと要望された時にさかのぼります。この制度に大賛成の私は、担当課長と相談し、日本橋署で試行的に実施することになりました。

この流れは、添付される書類が多すぎて書棚がパンクするということで頓挫してしまいましたが、当時は、人によって深い浅いの差はあっても、TKCと大蔵省との間にわだかまりがあったことは否定できない状況でした。このもやもやを一挙に吹き飛ばしたのが、税理士法改正の最中の昭和54年5月の飯塚・福田論戦であります。

福田幸弘(主税局審議官、のち国税庁長官、参議院議員)さんは、海軍経理学校卒、レイテ沖海戦に参加、戦後、苦学して東大を卒業、在学中に司法試験、大蔵省入省直後に会計士2次試験に合格し、知力、胆力、気力の横溢した肥後もっこすであります。自民党本部の朝食会において、小渕恵三、小泉純一郎議員らの立会いのもと、強い正義感を持つ2人の熱血漢が税理士法改正について激論を交わし、その結果、飯塚、福田のご両人は意気投合したわけであります。当時、福田審議官の下にいた私には、福田さんが興奮して帰ってきた時の様子がいまでも目に浮かびます。(飯塚毅先生追悼集『自利トハ利他ヲイフ』より。肩書きは2005年7月当時)

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