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法の前にはみな平等-2

今だから話そう、ロッキード事件

飯塚稲葉先生は国民大衆に、法務大臣という、なんとなくいかめしい役職を、非常なユーモアをもって近づけた大きな功績がありますが、あの時はご苦労なさったでしょうなぁ。

稲葉いやいや大変でしたよ。毎日、新聞記者はゾロゾロ付いて歩くし、ちょっとしゃべるとすぐ書かれて、稲葉語録と言われるし。

飯塚もう、ロッキード時代のことは、時効の部分もあるでしょうから、少し話して下さいよ。例えば、捜査の段階では、法務大臣はどの程度の権限があるんですか。

稲葉検察庁法14条の指揮権というのがあるが、検事総長を通じて捜査をこの程度で打ち切れとか、もっとやってみろとか、そういう権限は持っていますよ。いずれにしても、事前、事後の報告は充分やって来ますから。

たとえば、丸紅の大久保専務の時は事後報告。検事総長が法務大臣室に来て、逮捕理由を述べて行きました。

本誌田中角栄の時はどうだったんですか。

稲葉あの時は事前で、御許可願えませんかだよ。

飯塚大臣室だったですか。

稲葉いや、違う。私のアユ釣りは有名だ。60年のキャリアだから。で、頭の痛い時は釣りに行く。あの時も、郷里の川に孫を連れてアユ釣りに行っていた。勿論、新聞記者がいっぱいついて来る。「あなたがたがついて来ると気が散って孫にアユ釣りの技術伝授が出来ないから、きょうは何にもないから勘弁しろ」と言って帰って貰った。珍しく昼頃の汽車で東京に帰って行った。その後だ。安原刑事局長から電話だという。川まで連絡が来る。要件は直接だと言っているという。電話に出てみると、刑事局長は「検察首脳部の会議を開きました。3時過ぎに終わりました。いよいよ前総理田中角栄の逮捕状を今日のうちに東京地方裁判所に請求いたしまして、明日朝7時を期して、目白に逮捕に向いたいと思います。ついては、検事総長から、法務大臣に御許可を頂いて欲しいと申しておりますが、いかがなもんでしょう・・・・・・」こういう電話でしたよ。

飯塚外為法違反というのは、その時、お聞きになったんですか。

稲葉罪名はなんだって聞いたら、そう言うんだ。安原刑事局長は「今日中に逮捕状が欲しい。逮捕状を取るには証明が必要なんで、贈収賄事件では長くなって証明しにくい。だから一番、裁判官が事実を推測できる証明として、外為法違反で逮捕状を取りたい。ご諒解願いたい」と言うんだ。かなり長い電話で、いろいろな角度から考えて、質問もした。安原刑事局長というのが、冷静に的確に答えて呉れる。そこで、やむを得ないと判断したんで、「それならばよろしい」「ご許可願えますか」「それならばよろしい」ともう一度言った。そして電話は切れた。

飯塚なあるほど……。

稲葉電話が終って、またアユ釣りをやった。なにしろ、新聞記者が帰京したあとに、いそいで帰京すれば感づかれるし、護衛官にもわかってしまう。夕方は後援会に顔を出して講演をやり、夜行「天の川」で東京へは朝帰りだ。7時頃家に帰ってから三木総理に電話をいれた。すでに、閣議でロッキード事件は究明しなければいけないと申し合せ事項になっていたし、国会でも決議されていたし、いずれにしても法の下には平等だよ。そうだろう。

だから、総理に言ったんだ。「実は昨日、刑事局長からこういう電話があった。そして、それならよろしいと答えた」と。総理もかねてから誰が逮捕されても仕方ないと考えていたんだから法務大臣の権限で、法務大臣の職務で、つまり、一存で許可したんだとね。だから総理の指揮は仰ぎませんでしたと。「今頃踏み込んでいるでしょう」と言ったら、言葉がなかったので、たまげたんだろうね。わしの報告が第一報だったんじゃないですかね。

飯塚先生、検察の厳正公平、不偏不党、見事ですね。日本にも民主主義の基盤確立せりの感を強くしますよ。

だが、時々、若い検事諸君が、時として、功名心にかられたりして行き過ぎがあるようにも見受けられますが……。

稲葉飯塚さん、よく言って呉れた。私は法務大臣をやって、ロッキード事件という大事件を持たされた。然し、法務省、検察庁というところは法秩序維持のための犯罪捜査の機関を掌握していると同時に、人権擁護の官庁としても立派だよ。厳正公平、不偏不党、そして、慎重だよ。もし、行き過ぎの検事がおったりするなら、知らせて下さい。立法府には法務委員会だってあるんですから。

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