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我が道を征く-4
−勝者の論理−

川上野球の基本理念

飯塚それ以来、毎年参禅されたわけですか。

川上そうです。梶浦老師が亡くなられるまで、20年間いろいろお教えいただきました。

飯塚やはり公案をもらったんですか。

川上はい。私は“球(タマ)”という公案をもらいました。ただし野球の球ではないぞということです。世界でただ1個の球(タマ)になりきってみよ、ということなんですね。

飯塚その“球(タマ)”という公案は、おそらく梶浦老師の独創のものだったでしょうね。

川上そうです。私が野球をやっているということでしたから“球(タマ)”という公案をくださったんだろうと思います。しかし、野球の球(タマ)ではなくて、やはり“無心”ということと同じなんですね。だいぶ叩かれました(笑)。

飯塚私が初めて参禅したのは昭和10年でした。

川上ほう、そうですか。

飯塚那須の山中に雲巌寺という寺がありまして、そこの植木義雄という老師についたんです。32年間通いました。

川上それはご立派なことですね。

飯塚やっぱり、魂の師を持っているということは、先生にも磨きをかけたでしょ。

川上もう、これほど大きな人生の転機はありませんでした。言うなれば人生の羅針盤を得られたということですね。これは言葉では言い尽せないほど大きなものでした。

飯塚そうでしょう、そうでしょう。

川上それと、いままでは個人の打撃についてだけ追求してきたものが、今度はそれを禅によって広げることを教えてもらい、チーム・ワークというもの、つまり人の恩恵に対して感謝し、そしてそれにお返しをしていくということを教えてもらって、これがチーム・ワーク、チーム・プレーという方向へ変わっていきましたから、結局、私の野球はここから始まっているわけです。

飯塚そうしますと、ある意味で先生は梶浦老師との出会いが“川上野球”を大成させたともいえるわけですね。

川上はい。本当に私はそう思っています。ありがたいことだと感謝しています。

飯塚実は私も、植木老師に参禅することがなかったならば、私の今日はなかったと思っています。

川上禅で教えていただいた大事なことの1つは“なり切れ”ということですね。中に入ってみろと。中に入って一体になってみなければ本当のものはわからんぞということを教えてくれるわけですね。ですから、何事に対しても徹底して食いついていくということが私の生来の“凝り性”と合致しまして(笑)目的に対して途中であきらめるということはなかったですね。監督時代でも、勝つという目的を達成するために徹底した方針を貫ぬきましたから評判も悪くなりましてね(笑)。

飯塚いや、その強い意志が9年連続日本一の偉業を生んだんですよ。“勝つ”という目標を実現するためにはチーム・プレーに徹しなければいかんという先生の原則は、企業のリーダーも大いに学ぶべきだと思う。

川上飯塚先生を前に置いて僣越ですが、私は、企業の最大の目的というのは、まずその企業が人類社会のプラスになる企業でなければいけないというところにあると思うんです。それを目標に成長していくためには利益をあげなければいかんわけですね。そしてこれに従事している人たちが、みな幸せな人生を送るという形にもっていかなければいけないというのが経営体の考え方だろうと思うんです。

飯塚まさにその通りです。

川上企業が儲けることだけを目標とするならば、これは邪道だと思います。世のため、人のためにプラスになる仕事をやっているんだという自覚と誇りをもってやってのける姿勢がなければいかんと思いますね。

飯塚そうなんです。そういう姿勢でやれば儲けというのはくっついてくるんです。

私はこれまで、アメリカや西ドイツに負けないだけのすぐれた公認会計士、税理士の集団をつくろうということに全精力を投入してきました。政府からも民間からも本当に信頼される、人格的にも能力的にも完成された公認会計士、税理士の集団をつくるために一直線に進んできたわけですが、いつの間にか、それに利益がくっついてきたという形にいまなっているわけです。

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