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飯塚毅博士と私

対外債権が5,000億ドルを超えた日本は、債務国に落ちたアメリカに代って、一般庶民にはピンときませんが、世界一の“金満国”に成り上がりました。
 その日本国の予算の3分の1が借金――国債――とは知っていても、この借金への依存度がまた世界一と聞くと、国民は再び驚くことでしょう。
 幸い、財政再建という苦しいシェイプアップで病いは回復の途上にありますが、金持国としての格式と義務、「内需を拡大せよ」という、待った無しの外圧、それに、いずれやってくるこれまた世界一の老人国時代に備えて、歳出カットだけでは済まされない現実があります。一方、酷税への不満、税の不公平を怒る声もまた久しく、街に満ちております。
 いつから、どうして、何故こんなことになったのか。税制は今、抜本的改革を迫られておりますが、その方策は?
 戦前から大蔵省で主税、主計の中枢を歩み、政界に転じては自民党税制調査会会長、蔵相を歴任、最近は財政再建、税制改革のご意見番「村山調査会」の座長としても活躍される村山先生ほど、このテーマの対談のゲストにふさわしい方はおられません。
 「不公平税制の是正」を叫び続けてこられた、TKC全国会飯塚会長も、今日の顔合わせを待ちかねておられました。
 じっくり蘊蓄(うんちく)をお聞かせください。(木場康治・本誌編集主幹のあいさつから)

「税制抜本改正」を語る(上)-1
経済の構造変化に即した税制に

対談者(敬称略・順不同)
 村山達雄(衆議院議員・村山調査会座長)
 飯塚  毅(TKC全国会会長・公認会計士・税理士)
 ※肩書きや発言内容は対談当時のまま掲載しています。

(むらやま・たつお) 大正4年、長岡市に生れる。昭和12年東京帝国大学法学部卒業。同年、大蔵省入省。大阪国税局長、主税局長などを経て、昭和38年大蔵省退官。同年、衆議院初当選、以後当選8回。昭和43年運輸政務次官、45年自民党税制調査会副会長、46年法務政務次官、47年財政部会会長、51年決算委員長、52年大蔵大臣、53年経済物価問題調査会会長、56年厚生大臣、57年税制調査会会長、58年税制調査会顧問、などを歴任。

現在、衆議院予算委員会委員、村山調査会座長の要職にある。

予算案づくりは“税金”が主役に

飯塚先生は大蔵省のエリートとして、戦前、戦中、戦後の税制行政の中枢で活躍、国会議員に転じられては自民党の税制調査会会長、財政部会長、さらに大蔵大臣を務められました。さらに一昨年は財政再建、昨年は税制改革についての「村山調査会」の座長として、それぞれの問題について大所高所から問題点を指摘されました。

特に昨年秋の「税制改革に向けての村山調査会報告」で、来たるべき財政改革は、「これまでのような部分的手直しでなく、税制全体を抜本的に見直し、これからの経済社会にマッチした新しい税制にしなければならない」と強調されたことに、感銘しました。

あの報告が、問題点の指摘に主眼を置いて改革の方向を示唆する「中間報告」であることを承知しつつも、なお、私としては異論といいますか、お聴き取り頂きたいことが幾つかあります。

先生は、税務署長を経験してはおられるが、いわば税務行政の雲の上を翔んでこられた方。私の方は開業以来満40年、どちらかといえば大地を這いまわっている実務派ですから、当然、話に猛烈なギャップがあるかと思いますが(笑)。

村山異論を伺ってこそ参考、いや勉強になります(笑)。

本誌編集部としても、簡単に一致して頂かない方が……(笑)。

では、村山先生から、調査会の活動の模様と報告書の趣旨を、本誌読者のため、ご説明下さい。

村山自民党は毎年、予算編成の前段階として、各業界・利害団体から事情を聴取し、それを集約して税制改正案をつくります。その間、大蔵省とは毎日連絡をとっており、主計官はその状況を頭において予算案の枠組みをつくっておりますので、国会の当局側が出来あがった改正案を渡しますと、1日おいて大蔵原案ができます。

以前、財政に比較的余裕があった時は、いかに金をとるかが議員や関係団体の関心事でしたが、このごろは金がないことはみな承知しているので、全エネルギーが税金の方に集中している感じです。

飯塚ない袖は振れぬ――ゼロシーリングあるいはマイナスシーリングの時代ですからね。正に「金満国にっぽん」の奇妙な風景だ(笑)。

大蔵原案ができたあと、復活折衝というやりとりがありますね。

村山「復活」とはいっても、ワクは動きません。内示の段階であらかじめ削ってあるのを「調整」するだけです。

ただ、3,500億円ぐらいの公開財源を出してあって、それは党で配分します。しかしそれも、議員たち自身が決めると調整が大変ですから、「これなら通るだろう」という配分案を大蔵省が用意しています。

だから、大臣折衝の段階になると、公開財源の配分をふくめ、あっという間に決まり、予算政府案ができ上がって、年明けに国会に提出されます。

各省からの概算要求から税制改正案、復活折衝まで、その経過はマスコミが国民に洗いざらい報道します。こんなことは先進国の中でも日本だけです。

飯塚税金をどのように集め、どのように使うかは、国の中心的な仕事です。それがガラス張りになっていることは、日本の民主主義のレベルの高さを示すものでもありますね。

村山他の先進国では、政府原案ができてから公表されるので、一般の人には、決定のプロセスがわかりません。アメリカは、予算提案権は政府でなく個々の議員にありますからちょっと事情が違いますが……。

飯塚そう、大統領が議会に出すのは予算案ではなく予算教書。その年に取るべき政策、関係立法の要請、歳出・歳入見積りの表明などがその内容で、例えば歳出見積りをもとに議会が歳出予算法案を自らつくり審議する。

行政権は大統領、立法権は議会とはっきり分かれていることの反映ですね。

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