飯塚毅博士アーカイブ
プロフィール植木義雄老師との出逢い飯塚毅会計事務所と巡回監査飯塚事件TKC創業とTKC全国会結成
法改正への提言DATEV創業者 Dr. セビガーとの交友研究業績飯塚毅博士の言葉著作物・講演記録
ホーム
 
追悼座談会
飯塚毅先生との出会い
飯塚毅博士と私
バンガード対談集

飯塚毅博士と私

「税制抜本改正」を語る(上)-2
経済の構造変化に即した税制に

税制抜本改正の歴史

飯塚村山調査会の報告書は、財政・税金問題に識見をもつ村山先生以下11人の議員が、随分討論を重ねて成ったもの、と聞いております。

さきほどもお話にあったように、予算づくりの関心が税に集っているのは、日本経済が成熟して各業界が力をつけ、政府の助けに期待することが少なくなったこともありますが、それ以上に「これ以上税金をとられるのはかなわない」、あるいは「なんとか今より少なくならないか」という希望の現われでしょう。

それだけに、村山調査会メンバーのみなさんも討論に力が入ったことでしょう。

村山「村山調査会」は党の要請で昨年3月発足、週2回、1回3時間の討論を32回重ね、その内容を私の手もとでまとめ、問題提起だけですが、10月に中間報告を発表しました。

その前の59年には、党政務調査会から頼まれ、ほぼ同じメンバーで25回討議を重ね、「財政再建に向けての村山調査会報告」を出しています。これは、臨調(臨時行政調査会)の答申に基づいて推進されている財政再建に対応して、党側としても処方箋を出すため、財政悪化の原因をはっきりさせようという意図だったのです。

ご存じのように、日本の経済は世界で一番良いが、財政は世界一悪いといっても過言でないほどの借金財政です。その再建の処方の選択はいろいろありましょうが、原因をはっきりつかめば、道は開けます。大蔵省も「60年度の財政再建は党がとりまとめてくれた」と評価していました。

飯塚あの調査会報告も、力のこもった立派なものでした。処方箋の初めの方に「不公平税制の是正」を挙げておられたのが印象に残っています。

村山毎年の税制改正にかかわって、「やはり税制が問題だ。このままの税体系ではなんにもできやしない」と痛感していましたからね。

一番痛感したのは59年です。所得税、住民税合わせて1兆1,800億円の減税をするについて、財源として法人税に4千数百億円、酒税に3千数百億円、物品税に300億円持っていき、残りは増収策でつじつまを合わせました。

その結果、法人税は世界一高い税率になってしまい、酒税の方は、「そんな高いものは飲まない」とソッポを向かれ、逆に3,000億円も減収に……(笑)。

飯塚焼酎ブームをあおる結果にもなりましたね(笑)。ということは、現行税制を根本的に変えるほかないということで……。

村山考えてみると、シャウプ勧告で戦後税制の方向が与えられて以来、もう35年経っています。その間、日本経済の実体はどんどん変わってきたのに、業界や関係団体からのヒアリングをもとに「こんなところかな」と勘でチョコチョコ手直ししてきただけですからね。

飯塚ゆき詰まっても不思議はない(笑)。

村山そのゆき詰まりは、昭和12年に入省以来、私は2回経験しています。

1回目は昭和15年、戦費調達上、第1種、第2種、第3種の各所得税がゆき詰まり……。

飯塚昭和15年といえば、鳴り物入りで発足した近衛さんの新体制運動がすぐポシャり、政党も全部解消した年。砂糖とマッチが切符制になっています。蔵相は河田烈さんだったかと思いますが、軍部独走の前に大蔵大臣の影が薄くなったころでもありますね。

村山そんな時代でした。

税制は臨時利得税、超過利得税などと税目が多くて複雑怪奇、なにがどうなっているかわからない。例えば利子は、普通の第2所得税のほかに配当利子特別税があるといった調子でした。

そんなことではこれ以上戦費が調達できないので、国税と地方税を1つの鍋に入れて新しい税体系をつくりました。

飯塚抜本改正ですね(笑)。日本軍の南部仏印進駐、ドイツのフランス攻略と、対米戦争に傾斜してゆくいわば大戦前夜の状況だったから一気にやれたのでしょう。

前ページ  1   2   3   4   5   6   7   8  次ページ
(2/8)