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飯塚毅博士と私

昨年1年間の税制論議をみていて、議論百出、どの人の意見を聞いても、その多くはピンボケの感が否めず、何か根本的なものが欠落しているように思えてなりませんでした。そして、加藤先生の“哲学なき税制改革案は意味がない”との発言に目をみはりました。税制改革は目下の政治課題の最大のテーマであり、同時に重要な経済政策でもある以上、無意味な議論をいくら重ねても仕方のないこと。その意味で、飯塚会長の日頃の有効な税法改正提案と、加藤先生の“哲学を持て”とのご意見を相まみえることで、税制論議の本質に迫ってみたいと考えます。(木場本誌編集主幹の挨拶より)

“税制改革大綱”の誤謬を撃つ-1

対談者(敬称略・順不同)
 加藤  寛(慶応義塾大学教授)
 飯塚  毅(TKC全国会会長・公認会計士・税理士)
 ※肩書きや発言内容は対談当時のまま掲載しています。

(かとう・ひろし) 1926年、岩手県に生。まれる。1950年、慶応義塾大学経済学部卒業。米審、行革審などの各種委員を務め、エコノミストの立場から、経済政策、教育、国鉄、農業問題などに対して積極的に発言している。現在、慶応義塾大学経済学部教授。

著書は『社会化と経済計画』(理想社)『ソ連の経済成長と経済計画』(日本評論社)『公企業の経済学』(編著、日本経済新聞社)『最適社会の経済学』(講談社)『20世紀の限界』(ダイヤモンド社)『現代日本の公企業』(日経新書)『間違いだらけの経済常識』(ダイヤモンド社)『国鉄・電電・専売、再生の構図』(東洋経済新報社)『現代ソ連経済の構造』(共著、日本経済新聞社)『官僚改革論』(中央経済社)『経済構造の転換は可能か』(共著、八千代出版)『経済は変わった!』(日本経済新聞社)など多数。

飯塚先生は税というものをマクロ的に見ておられる。「週刊ポスト」の1月23日号や「バンガード」2月号などで展開している税制改革案への鋭い批判は本質的なところを衝いておられる。大局的に経済学的視点で論陣を張っておられることに感服しております。

我々職業会計人は条文の細部を逐一検証する作業から始めるわけでして、アプローチの仕方そのものが違う。

本誌加藤先生の透視図を踏まえた上で飯塚会長のキメの細かい税法理論を導入すればさぞや立派な税制改革ができることでしょう。

加藤私は条文のことはテンデわかりませんからね。ひたすら教えを乞うのみ(笑)、宜しくご教示ください。

本誌細かい部分で大蔵官僚は誤魔化しますからね、そこを注意しないと(笑)。

飯塚そう小手先でね。

しかし、先生に“哲学”がないって真っ向上段から斬りつけられては、大蔵官僚も逃げ場を失うでしょうな(笑)。

加藤今朝も税調の方と会いましたので、ここをどう考えているのかって問い質したら、「その辺は考えないでやっちゃったものですから」って(笑)。

飯塚それはまさに正直な告白だ(笑)。

加藤大蔵省がというより、政府及び党の税調が考えなかったということですがね。

飯塚先生の「哲学なき税制改革はケシカラン」との批判には私も同感なんですが、そもそも党も大蔵省も“哲学”の意味がわかっていないのじゃないか。

加藤そう、私にも“哲学”があります、なんて平気な顔して反論してくる。しかし、私が言っている“哲学”とは、国民がおしなべて認めることのできる“哲学”ということであって、自分だけが認めていればいいという類いのものは“哲学”ではなく“宗教”です。私が問い質しているのは、みんなが納得できるような理念をお持ちですか、ということなんです。

例えば、今回の税制改革案でも“簡素”と言っていますが、これが曲者です。間接税を導入することで、政府には3兆円が入りますが、民間はというと7兆円の負担増ということです。しかも事務処理作業は大変で、大混乱に陥ります。ここのどこが簡素なのか。増収手段にばかりに目を奪われて“哲学”がないからこういうことになる。

アメリカの場合、簡素というのは納税者にとって簡単になることと考えるのに対し、日本の場合は徴収する方にとって簡単なことと解釈している。現行の源泉徴収が典型ですよね、こんなこと世界中に例を見ない。民間の負担を大きくして、国民に迷惑をかけることを簡素というんですから話になりませんよ。“哲学”を抜きにして方法論ばかりにウツツを抜かしているからこういうことになる。

飯塚ズバリ、その通りだ。

加藤こんなこと国民の誰一人、納得できませんよ。

今度の改革案に目的が6つも掲げられていることにも“哲学”のなさが見てとれます。公正、簡素、成長、公平、選択、国際性と、たくさん並べすぎる。二兎を追うのも至難の技なのに、六兎を追うとは何ごとですか。国民の一番の願いは不公平の是正なのだから、これを最大目的にしてキチンとそれだけをやれば、国民は支持しますよ。制度の改革をすべきなのに、問題をすり換えて財源確保に狂奔した。“哲学”が置き去られてしまったから、こういう結果になってしまったのだと私は批判しているわけなんです。

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