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「文化摩擦」回避の道-4

日本内部の国際化が必要

飯塚日本は対欧米では明治以来ずっと受け手あるいは受け身だった。それが最近はアクティブというか、こちらから仕掛けるようになった。そのときに起こる反応については経験が乏しいのですね。

佐藤随分「国際化、国際化」と言ってきて、ある程度達成したわけですが、ニューヨークタイムズが最近、皮肉な論評をしています。

「日本のいう国際化――グローバリゼーション――とは、銀座で外人とデートしてパスタを食べて、マドンナとジャクソンの歌を聞いて……最後にマンハッタンに来てマンションを買うことだ」

本当の国際化とは、日本の内部、内面の国際化だと思うのです。しかし、これは日本人が一番苦手とするところですね。

飯塚そこなんです。会計制度でも税制でも、私が「原則が欠けている」と1人でガーガーやっているのは。原則がはっきりしていれば、外国と違うものであっても、向こうは敬意をもって対しますよ。無原則で「日本の特殊性」を振り回すから、「文化摩擦」ということになる。それでは泥沼だ。

佐藤私は秋田県出身ですが、最近小学校の同窓会に出て、昔東京から疎開して来ていた2、3人に聞くと、「閉鎖的だったね。疎開っ子はいじめられた。あんないやな体験はなかった」と。日本人は外国人に対してもこれと同じですね。初めはチヤホヤするけれど、意思決定には参加させない。

飯塚その通りです。先生は恐らく逆の経験をされたでしょう、アメリカで。

佐藤フルブライト基金で行きました。1年の予定でしたが、「君はすこし勉強が出来るからもう1年いなさい。こちらで奨学金を上げるから、マスター・オブ・ビジネスアドミニストレーション(経営学修士)の資格をとれ」と。それでさらに勉強していると、仲間が――今ハーバード大学の教授ですが――奨学金を世話するから博士号をとれと。

飯塚当時のアメリカは戦後の絶好調時代。名実ともに超大国だった。個人も実におおらかで面倒見がよかったのですね。

佐藤実は私は大学を卒業して三井信託銀行に勤めていたのですが、退社させてもらいましてね。結局、留学4年で博士号をとりました。そのあとがまたアメリカらしいのです。いきなり東部のアイビーリーグの名門大学から、「お前を教授にする」と。

飯塚それは素晴らしい。

佐藤かれらは、外国人が入って来ることなど当たり前なんですね。そしてメリットがあればどんどん登用する。日本ではいまでも、たとえばアメリカ人が東大の教授になるとマスコミは大々的に報ずるでしょう。いや、そんな事態にはそもそもなりそうにない。日本の国際化はその辺りからですかね。

飯塚そう。世界に通ずる普遍的な原則が貫徹している社会になるのはね。

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