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湾岸戦争-3
企業経営への教訓

総合国家安保審議会で法制化を急げ

佐々分類はまだあるのです。どの省庁の所管にも属さないもの、例えば空襲警報は誰が出すのか。避難民の誘導は都道府県知事の責任か。つまり自治省がやるのか地方自治体か。あるいは消防庁か、警察か。あるいは自衛隊か。これはどこにも書いてない。これが第3分類(笑)。

飯塚日本は平和なんだなあ(笑)。

佐々そこで中曾根さんが総理のとき、後藤田さんの努力で内閣安全保障室を創設しました。私は室長としてどこの省が何をやるかという割り当て案をつくりましたが、次官会議にかかる前にストップして……。

飯塚ほう。なぜですか。

佐々早すぎるというのです。

飯塚先生は「法制化を急げ」とおっしゃいました。その準備は栗栖さんの問題提起があって以来、事務的には進んでいるのですが、政治決断がないので法制化に至らない。そして今度の湾岸戦争になったわけです。

飯塚周章狼狽し、醜態を世界にさらしましたね。怠慢のつけは随分高かったし、都知事選の候補選びに見るように、あちこちに悪い影響を及ぼしています。

佐々みんな逃げているのです。私は総合国家安全保障審議会をつくり、いま申したようなことをまとめて制度化しなければいけないと強調しているのです。それが出来なければ日本は国家といえません。

悲観的に準備し、楽観的に対応せよ

飯塚同感です。栗栖さんもあの時もうひと頑張りしてくれるとよかったんだが……。

佐々私たちも期待していたのですがね。あとに続く者もなく、捨て石にならなかったですね。

私はいま申したように、「ここまで案は出来ています」とずっと国会で答弁しつづけましたが、そこまででした。中曾根さんのとき、各省割り当て寸前までいったのですが……。

飯塚総理の決断はなかった、のですね。中曾根さんといえば、私は同年齢の関係もあって、応援させてもらいました。当時は度々会って話しました。総理になる直前にも、なってからも、「自分は1億2,000万国民の運命形成のためならば何時でも死にます、と国民の前で堂々と言ってほしい」と何回となく迫りましたが、なかなか言わない。最後に1回言いました。それは売上税が廃案になったとき。新宿で土砂降りの雨の中で街頭演説しているときでした。

つまり、先送りしていたわけです。もっと早く言っておれば、訴える力が天地雲泥だったのに。

佐々そうです。今度の湾岸戦争の教訓でもあるのですが、私は前から言っているのです。危機管理の要諦は、「悲観的に準備し、楽観的に対応せよ」です。

一国の場合は総理大臣、企業なら社長さんですが、双肩に自分の運命はもとより、家族や従業員、大は国民の運命がかかっているわけです。指導者は、「まさかそんなことはないだろう」とか、「あっても何とかなるだろう」では義務は果たせません。

飯塚全く。

佐々指導者はいつも「次は何が起こるか」と先を読まなければならない。危機予測ですね。しかも悪い方へ悪い方へ考えて準備しておく。これが危機管理の基本です。たとえば、日本には侵略はないだろうという前提で考えては防衛政策は成り立ちません。

飯塚そう。

佐々湾岸政策を例にとりますと、政界も官界も言論界も学界も、ほとんど全ての有識者――90パーセントといってもいいでしょう――が「戦争はない」と仰言った。戦争は不可避だと言っていたのは一握りです。

本誌勿論、佐々さんはその1人(笑)。

佐々「戦争と平和は五分五分」と言うのはいけません。戦争に備えておいて、平和だったらシャンペンを抜けばいいのです。

大体、日本の指導者の特徴の1つは、自分にとって嫌な先見を進言されると機嫌が悪いことです。怒る人さえいる。戦後の指導者の共通点ですね。

飯塚そういう傾向があるかもしれない。

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