飯塚毅博士アーカイブ
プロフィール植木義雄老師との出逢い飯塚毅会計事務所と巡回監査飯塚事件TKC創業とTKC全国会結成
法改正への提言DATEV創業者 Dr. セビガーとの交友研究業績飯塚毅博士の言葉著作物・講演記録
ホーム
 
追悼座談会
飯塚毅先生との出会い
飯塚毅博士と私
バンガード対談集

飯塚毅博士と私

湾岸戦争-4
企業経営への教訓

悪い報告は早く、よい報告はゆっくり

佐々「悪い報告は早く、よい報告はゆっくり」というのも私の信念です。悪い報告はなるべく早くトップに上げておかないと間に合いませんからね。よい報告で喜んで貰うのは翌朝でもいいのです。

ナポレオンもそう言っています。「悪い報告は午前2時でも3時でも即刻自分を起こせ。なぜなら私の決断と指揮命令が要るから」と。この心掛けであえて悪い報告をするのが補佐官の任務です。

飯塚本当だ。

佐々私は悪い報告をして来ました。具合が悪いことにそれがほとんど当たりました。私は35年務め、国政にかかわることでものを言うようになってから20年です。その20年の戦訓を生かしたいと思っていろいろやっているわけです。

湾岸戦争に際しても、悪い予想をし、悪い報告をして準備を進言したのですが、ほとんど容れられませんでした。それが今になって「悪いことはずけずけ言ってくれ」と。

飯塚ハッハッハ。えてしてそんなものですよ。

本誌民間の企業でも、悪いことを耳に入れて左遷されることがあります。そこまでゆかなくても、いい結果にならないことがしばしばあります。

「後藤田の5訓」裏返し

佐々その点、後藤田正晴さんは偉い先輩です。安田講堂の攻防のとき、後藤田さんは警察庁長官でした。私は警備課長。金大中事件のときは官房副長官で大韓航空機撃墜事件のときは官房長官でした。私はそのとき防衛庁の官房長として後藤田さんの指揮ぶりを見てきました。

内閣安全保障室長に任命されたとき5つの戒めを訓示されました。私は「後藤田の5訓」といっているんです。

飯塚5訓ね。聞かせてください。

佐々雑誌「選択」にも書きましたが、

1.省益を忘れ国益を思え。自分の出身省の益を図った者は即刻配置かえする。

2.悪い報告をせよ。私が聞くのも汚らわしいと思うような嫌な事実を報告せよ。

3.勇気をもって意見を具申せよ。

 後藤田さんといえども神様ではない。どうしたらいいか、と思うこともある。「そのために専門をもつ補佐官を5人もおいているのだ。私が総理ならこうします、という意見を言ってくれ」と。

4.「これは自分の仕事ではない」と言うな。みんなが「これは自分の仕事だ」と言って争ってくれ。

5.議論を尽くして、決定が下ったら従え。命令は実行せよ。

私たち補佐官はこれを守って一生懸命やりました。

飯塚さすが、ですね。

佐々後藤田さんのところへは、みんな平気で悪いことを言いにゆきました。そういうやり方でしたから御大喪の礼もうまくいったのです。

また「その話は中曾根首相の耳に入れろ」と指示されるので、私たちは首相にも平気でいろいろ話をしました。その点、今度の湾岸戦争では、全部反対ですね。

飯塚うまく噛み合っていない、と感じていました。

佐々役人が省益で争ったのです。外務省は「これはうちだけにやらしてくれ」。大蔵省は「予備費は無理」。防衛庁は「呼ばれないから」。厚生省は「医者を出すのは難しい」。運輸省は「飛行機を出すのは組合があるので嫌だ」。

2番目。だれも悪い報告をしない。戦争はあり得ないとみんな言った。国民もそう思い込んだ。

3番目。意見具申をしない。みんな受け身です。

4番目。「これは俺たちの仕事でないよ」ばっかり。俺がやってやろう、というのがいない。これでは国連平和協力法なんて通りませんよ。法案を出した以上は、担当局長以上は辞表を懐にやらないと駄目なんです。

「総理大臣の答弁を求めます」と言われ、外務大臣が立った。その外務大臣が「これは大事な問題だから、政府委員をして答えさせます」と珍答弁をやってしまった。

飯塚「大事な問題だから政府委員に」とは本末転倒。イギリスでは大臣がやります。

佐々そうでしょう。これは先例が1件だけあります。私が防衛庁にいたときですが、ご高齢の長官が同じ答弁をおやりになった。国会史上に残る珍答弁といわれました。そのとき轟々たる野次の中で答弁したのが、私です。久し振りに同じ答弁を聞いたわけです(笑)。

飯塚ハッハッハ。笑いごとではないですがね。

佐々5番目。決定がくだり、命令が出ているのに実行しない。飛行機を5機出し後方支援させる。船を1隻出すとなっていたのに結局、1機も1隻も出なかったでしょう。つまりさっき申した「後藤田の5訓」は全部裏返しです。珍しい例です。

飯塚全く。そういうことになりますね。国民が終始フラストレーションを感じていたのは当然だった。代表になって舞台に立っていた人たちがお説の通りだったんだから。

前ページ  1   2   3   4   5   6   7   8   9  次ページ
(4/9)