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東洋思想でいかに生きるかを問い直す-4

カントと仏陀の驚くべき近似性

飯塚インドの哲学者ラダクリシュナンの『Indian Philosophy』の中に、ショーペンハウェルが青年時代、『ウパニシャッド』を座右の書にしたことが書いてあります。

中村ラダクリシュナンは東と西の精神的な通路を開いた最初の大物です。記念論文集は「比較哲学」と題されています。あの人が書いたものは名文で分かりやすい。最後には大統領になりました。日本では考えられないことですね。

飯塚吉田首相が哲学者を、三木首相が教育学者を、それぞれ文部大臣に据えたことがありますが、それさえ例外的ですね。

ところで Transzendentales Bewusstsein(先験的意識)に戻ります。カントは『純粋理性批判』に次いで書いた『プロレゴーメナ』の中で「あの認識論は自分が創始したもの」と書いていますが、私は創始者であるかどうか疑っているのです。カントよりも仏教の認識論が先行していると思うのです。

中村そうかもしれません。カントは読んでいなかったでしょうが、仏教の唯識論には同じような考えが展開されています。つまり、いかなる事物も人間の心に映じ、心に捉えられる限りで存在すると。

飯塚そうなんです。カントとずばり同じことを言っている。

中村そういうことになるでしょう。ただし、唯識論はそのころ西洋には知られていなかった。またカントは仏教やインド思想を研究していません。

飯塚彼の論文の中に仏教のことは出て来ません。しかし、ショーペンハウエルと同時代人だし、彼の認識論は仏教から影響を受けたとしか思えないのですがね。

中村向こうでは『カントと仏陀』という本がよく出るのです。それはなぜか。カントは「二律背反に陥るような形而上学的な問題を論じてはいけない。これは人間の認識能力の外にある」と言っています。同じことが初期の仏典にも出てきます。人間が論じてもしかたがないものが幾つかある。例えば、世界は有限であるか、無限であるかという問い。これは今日でも分からない。

宇宙が時間的にいつまで続くか。精神と身体は同一か別か。これも分からない。修行を完成した人の魂が死後も存在するかどうかについては、仏陀は全く答えませんでした。これらのことは、論議しても共通の認識に達することがない。それより人間はいかに正しく生きるべきかを明らかにする方が、仏陀の道だと説いた。これはカントの立場に近い。

飯塚恐ろしいほど似ています。特にカントの「無上命法」。これは仏陀の言う戒律の思想と同じですね。

中村同じ範疇――カテゴリーに属します。

飯塚そうでしょう。カントの言うDing an sich――「物それ自体」と同じようなことをお釈迦さんはちゃんと言っている。だから私は、カントは仏典を読んだのにしらばくれているのではないかと疑っていたのです。

中村ごもっともですが、彼はおそらく読んでいませんね。思索をつきつめるうちに同じような結論に達したのだと思います。真理を求める人が真剣に努めるうちに似たものを目指すのですね。そういうことを明らかにするのが比較思想学の問題なのです。

禅が鍛える精神の鋭さ

飯塚お生まれは大正元年と伺っています。私より7つ上ですね。これほどの先生は世界にいないのですから……。

中村まだ働けますから、世間に対して何か恩がえしをしたいと思いまして。

飯塚それは有り難いお考えです。私が16歳の時から32年間通った那須・雲巌寺の植木義雄(ぎゆう)老師が……。

中村よく知られた方ですね。

飯塚97歳でなくなる直前まで、敏感さ、反応の鋭さが抜群でしたよ。先生のお話を伺っていて老師を思い出しました。

中村さっきお話に出た金倉円照先生も、90歳を過ぎてなくなられるまで頭がはっきりしておられました。私はお見舞いに行ったり、お取り次ぎをしたのですが。

飯塚よく「臨済将軍曹洞土民」といわれますが、かつて植木老師にその由来を訊ねましたところ、「それは鋭さの問題だ。臨済禅で鍛えた人間は鋭いのだ」という答えでした。我田引水のようで申し訳ないのですが。

中村よくそう言われますね。

飯塚やはり臨済の沢庵禅師の末期の偈(げ)は凄いです。徳川幕府に師範として仕えた柳生但馬守に剣の極意を教えた人ですが、その偈というのは、「撃石火の如く仄電光に似たり。間髪を入れず一機揆転」というもので、つまり鋭さの極致を言っているのですね。3代将軍家光も、この坊さんに参って品川に東海寺を建てて与えました。しかし沢庵はそこに数日しかいなかったそうです。

中村執着がなかったのですね。総持寺を建てた開山瑩山(けいざん)禅師も、お寺を創ると、ぱっと弟子に与えたそうです。

飯塚なるほど。執着心がないといっても中途半端じゃないですね。沢庵禅師は柳生但馬守に与えた剣の極意書に「まさに住むところなくしてその心を生ずべし」と金剛経の文句を書いています。

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