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サバイバルの秘訣-4

自分を特殊化せよ―― ゲーテ

飯塚お話をうかがっていて、ゲーテの言葉を思い出しました。

ご存知のように、彼は詩人、作家で、科学者でもあり、ワイマール公国の宰相もやっています。その側近だったエッケルマンという人が書いた“Geschprach mit Goethe”(「ゲーテとの対話」)という大冊の中に、「人生で本当に成功したいと思うなら、自分を徹底して特殊化することだ。そうすると第1級になる」というくだりがあります。

なんでもかんでも、というのではデパートですね。おたくは販売と同時にメーカーですから、自分を特殊化するのがポイントだったのですね。ゲーテは、実にうまいことを言っています。

機械式で、メカで計算するものしかなかった時に、電気的に計算する機械を作ろうという着想がまずよかった。こういうものができれば世の中の役に立つ。他人の領域を侵さないで社会に貢献できるじゃないか、という最初の精神が、カシオさんには連綿とあるのですね。

方法論として、たえずクリエーションを続けていかねばならない、というのはすばらしい。

樫尾原理は今のLSIを使った計算機と同じなのですが、最初は電気リレーを使った計算機を作ったわけですね。それがトランジスターに、ついでICにかわり、LSIにかわりました。そのつぎはLSIにどれだけの機能をもたせることができるか、をみんなで研究して、電卓とかデジタルの時計を創造したわけです。

そういう次第ですから、「お前働け」といって働かせるのでなく、「今度はなにが作れるか」に、みんなで血眼でした。それが、外部からは「カシオさんの社員はよく働く」という評判になったのでしょう。

飯塚そうなると創造の喜びですね。働くという意識より、自分がチャンスを見つけ出すという……。

樫尾私たちは、技術をべースにしてずっとやっておりますが、それをやっているのは人間ですから、固定的なものではないですね。いろんな要素が錯綜して、私たちのいまの技術力、開発力に結びついているように思います。

私のところの開発担当専務は、自宅にも研究室をつくって四六時中、仕事をしているものですから、ある時「君の仕事は大変だね」と、ねぎらいましたら、「私はこんないい仕事をやらせて貰って幸せなんだ。もちろん会社に対する責任もあってやっているが、仕事をすること自身の喜びでこうしてやっているのだ」という返事でした。その気持が、部下にも浸透しているのですね。

飯塚立派なものです。

イギリスの哲学者でノーベル賞をもらったバートランド・ラッセルの著書に“Principle of Social Reconstruction”(「社会改造の原理」)と“Authority and Individual”(「権威と個人」)というのがあります。前のは何十年前のものですが、この両書でラッセルが同じことを言っている部分があるのです。それは、人間の本当の幸せは何か、ということで、ラッセルは「日々、創造の中に身を置く」ことだ、と言っているのです。

人間は、大別して“the creative impulse”つまり創造的衝動と“the possessive impulse”つまり所有への衝動の2つがあるが、創造的衝動の中に日々、身を置くことが最高の生きざまだというのです。

おたくの専務さんが、「こんな幸せなことはない」とおっしゃるのは、本当に自分の人生を見つめている証拠です。

樫尾技術開発の例を申しましたが、私どもでは、営業も大変です。年中新しい商品に取り組んでいるので、販売予測を立てる方も苦労しますが、その連中も「面白くて仕方がない」といいます(笑)。苦しいことは苦しいが、やりがいがある、と

激烈な競争に生き残った、と言って頂きましたが、私たちとしては、やりがいをもってやっているうち、いつの間にか生き残っていた――というのが正直なところです。

飯塚結果として勝ち抜いた、ということですね。

樫尾「必要は発明の母」といわれますが、私たちは「発明が必要の母」と考えています。世の中が欲しがるようなものを、どうやって発明するか。その製品にはどのような機能、性能をもたせるか。また、みんなが買いやすい、求めやすい価格をどう実現するか。それが、全社員の自らに課するノルマになるのです。

私どもの会社は、よく「価格破壊の会社だ」と評価されたり、あるいは批判を受けることがあります。批判の趣旨は、どんどん売れるのにすき好んで値段を安くすることはないじゃないか、ということです。

ところが、私どもは、「安くできてみなさんが喜んでくれているのに高く売ることはない」という考えです。営利という見地からは、時にもったいないと思うこともありますが、開発した連中は販売段階で高くされると、がっかりするんですよ。

「価格破壊」と悪口をいわれるのは当っていません。

飯塚さきほどおっしゃった「メカ的な計算機を電子的なものに切りかえられないか」という発想、これは実に素晴らしい。

かつて、私たちのところで職員に電動計算機をもたそうと、ドイツのブルンスヴィガーを……。

樫尾ご存知でしたか。なつかしい機械です。

飯塚ブルンスヴィガーを全職員にもたせたのです。1台十数万円しました。ところが、これがあっという間に電卓にとってかわられて、その後、倉庫でほこりをかぶっています。

樫尾ブルンスヴィガーとかマーチャントなど欧米の製品を見て感じたことは、値段が高いことです。また歯車のかみ合わせで計算するので騒がしい。機能上も例えば円周率のような定数を設けて計算することができない。そうした短所を克服し、便利なものにするにはどうしたらよいか、と思いをめぐらしているうち、電気的なものなら配線でつなげばできるじゃないか、それならそう精密な機械でなくても作れる、うちでもできる、ということになったのです。当時、電話交換機はみな継電器を使っていましたが、それと同じ原理です。2番目の弟がおもいつきましてね。

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