飯塚毅博士アーカイブ
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虚弱だった少年時代
生涯の師との出逢い
見性を許されるまで

植木義雄老師との出逢い

見性を許されるまで-2

山を見て山を見ず

「お堂から出てきて、ファッと山を見た。山を見たんだ。同時に山を見ないんだ。山を見た。同時に山を見ないんだ。山を見て山を見ずだ。山を見るけれども同時に山という見(けん)がない。ああ山を見ているぞという見がない。見解、そういう意識、それをキャッチしている、アクセプトしているという意識だけがない。目は山を見ている。目の前には山がある。ああ山だな、朝日に輝く山だな、といった見がない。山を見て山を見ず。うむこれは大した世界じゃ。山を見て山を見ず。山はないぞ。うむ、おれが山だわい。これはたまげた天地だわい。こんなことをおれは知らずに、やっぱり概念としての無を追いかけていたんだな。といった境涯を経験した。新しい変わった人生がひらけたようであった」(飯塚毅著作集1『会計人の原点』10ページ)

さらに参ぜよ30年

「このような経験があって昭和16年の秋、とうとう植木義雄老師から見性を許されました。この『見性』というのはどういうことか簡単に申しますと、自分の本性を見きわめたということなのです。つまり自分の心の実態を見きわめたというお墨付き、これを『見性』というのです。とにかくそれ迄は、『時期をみる』の一言で突き放されていたのが、参禅入室して、1、2年の間に見性を許されたのですから、老師もうれしかったのでしょう。わざわざ次の様な文句を、私に書いて下さったのです。

仏祖大機全帰掌握 仏祖ノ大機マッタク掌握ニ帰ス

人天命脈悉受指呼 人天ノ命脈コトゴトク指呼ヲ受ク

雲巖寺にて植木義雄老師と
(写真出典:飯塚毅先生追悼集『自利トハ利他ヲイフ』378頁)

この『仏祖の大機』というのは、『お釈迦様−あるいはダルマを含むこともあります−の偉大な機能力、偉大な働きというものが、全くお前の手の内に入ってしまった』という意味です。そして次の句は『人間界と天上界、つまり全宇宙の生命というものが、明々としてあたかもお前がたなごころを指すような状態だ』という意味です。老師は見性を許したしるしに、以上のように書いてくださったわけです。

ところが、その次がよくない。その後、私が参禅したとき、『飯塚よ、古人は更に参ぜよ、30年といっているのだ』と、とどめをさされ、『あと30年間、骨身をけずって参禅せよ。絶対に小成に安んじてはならない』と、やられてしまった。このように釘をさされたという訳です。16歳のときから坐禅に通ってやっとのことで見性の許しを受け、やっと一里塚を越えたと思っていたら、さらに参禅を30年やれと言う。『あと30年間も修行しなければならないのか。これはたまったものではない』と思っていましたが、今頃になって『これは本当だなあ』と思います。もう老師は生きていませんが、『更に参ぜよ30年』と、師匠は本当のことを言ってくれたと思うのです。やはり人間というのは、何十年でも生きているうちは、必死になって己れを磨かなければいけないのだと、今になって痛感するのでございます」(飯塚毅著作集1 『会計人の原点』187〜188ページ)

<以上>

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