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飯塚毅博士と私

国税当局にあって、東京国税局の占める地位は、まことに大きなものがある。日本の企業の60パーセントが集中する東京だけに、管内には税収2兆円に達する税務署もある。
 歴代の東京国税局長は国税庁長官へのコースでもある。渡部周治、磯辺律男、吉国二郎、泉美之松の元局長といった人々がそうで、これらの人々は大胆な税務行政を実施することによって業績を残した。矢澤現局長もまた、新しい発想の転換を求め、それを実施する構えである。
 税理士の役割を重視するこの人の手腕に、1万4,000の東京の税理士はどのように対応するだろうか。

これからの税務行政は租税正義をめざせ-1

対談者(敬称略・順不同)
 矢澤富太郎(東京国税局長)
 飯塚  毅(TKC全国会会長・公認会計士・税理士)
 ※肩書きや発言内容は対談当時のまま掲載しています。

(やざわ・とみたろう) 昭和6年7月生まれ。東京出身。28年一橋大学経済学部卒。大蔵省に入り、大臣官房文書課課長捕佐、東京国税局間税部長、大臣官房文書課広報室長、主税局税制第一課長、大臣官房審議官等を経て57年6月から現職。

飯塚矢澤東京国税局長さん流の体制と税務行政は日々に強化構築されているやに拝見しており、同慶にたえません。

矢澤いやあ。飯塚先生はじめ、税理士先生方の御協力や御支援が段々実りつつありますね。

飯塚特に我々が感謝せねばならぬのは、TKC東京会の夏期大学で御講演いただいたことです。あの内容について、税理士諸君は限りない励みと、当局と共に正しい日本の税務行政の一端をになって進むのだという意欲にかられたようで有難いことでした。

独立性をもった税理士の立場が、明確に未来への展望として自覚できたことは素晴しいことでした。

矢澤税理士先生方の役割を重視しようという方針は磯辺律男元長官、渡部周治前長官、そして現長官もその路線を継承しておられるし、我々の認識もその方向で具体的になりつつあります。

飯塚とくに、あの講演は、各地で行われている我々の「90時間研修」という勉強会の席上で、参加者全員に聞かせているんです

本誌全国的に大変な反響のようですね。

飯塚ところで、矢澤局長は一橋大出身の俊英で、在学中に公認会計士の試験にパスした、天下の秀才なんですね。

矢澤学制改革の時でしたので、会計学の岩田巌教授から大学院に残れといわれて、1年ばかり大学院で勉強しました。

その頃、中央大学に会計士補実務補習所というのがありましたが、大蔵省からも聴講生が来ており、今の福田長官もその一員としておられました。

飯塚それは、面白い。

矢澤大蔵省に入ったら、主税局調査課にまわされました。

飯塚スタートから税務とは関係が深かったのですね。

矢澤飯塚先生の著作は大変興味深く読ませていただきました。

特にモンゴメリーの監査論の中に出て来る「直観力を養うことが大事だ」というところ。だが、どうして養うかは書いていない……。

飯塚同じようなことがイリノイ大学のジョーンズ教授の著作にもありますね。直観力を養うことの必要性を強調している。だが、どう養うかはそれにも書いてない。

矢澤私は経済学部のゼミで赤松要(かなめ)先生に経済政策を教わったんですが、同じようなことがあったのを想い出しますね。先生は、本質的動向という言葉で直観とかヴィジョンを重視された方ですが、そもそも直観とは主観的、個性的なものなので、これを客観的に習得することは難しい。

飯塚さすがに問題点をいっぺんにとらえますね。

それにしても、大蔵官僚になられる前に、公認会計士の資格を持っておったというのは頼もしい限りだ。そのことに関して、幾つかの問題提起をすると、世界の中で日本とスウェーデンだけが、会計人の会社を認めていないという事実、このことは世界各国の情況と比較して不思議なことだけに、御銘記願いたいと思います。

アメリカの場合、カリフォルニア会計業法第9条にあるが、会計士はいかなる種類の会社を作ってもよい。ただし、その種類を商号に表示せねばならないという条項があります。

矢澤なるほど……。

飯塚それと、申告書の良質性ということが問題となるならば、会計人の会社を作らせるべきだと思う。今の日本の公認会計士法の1条3項には、2条1項の監査業務だけに業務を限定しているのは世界にも類を見ないあやまちだと思う。

矢澤モンゴメリーの監査論は、どちらかというと技術論に片より過ぎていませんか。

飯塚モンゴメリーは第8版が最も内容が充実しており、第9版では技術偏向のきらいはありますね……。

矢澤それにしても飯塚先生の昭和33年頃から始められた巡回監査のチェックシートの発案などは大したものですね。

飯塚あれはね、イギリスやアメリカの監査論を徹底的に調べて応用したのです。従って、私の監査体制は昭和34年には、がっちり出来上がっていたわけです。

本誌飯塚会長はそのことに関しては徹底してますね。

開業以来、金庫にさわったことがないとか(笑)、業務上の中元、歳暮などに関しては全部金銭に換算して所得として申告するとか……(笑)。

飯塚何回も同じ発言をしていると、木場さんにおぼえられちゃって……(笑)。

矢澤それとリトルトン教授の会計人の使命などを強調しておられたあたりは、説得力があって興味深く読ませていただきました。

リトルトン教授は「会計士というのは、単に税務と会計の業務を知っているだけでは駄目なんだ」と言ってますね。幅広い教養と文化性、そして実践力がなければ駄目だと……。

飯塚同感です。あの会計学の先生が言っている専門的知識プラス文化性というのは、大事なことですね。幅広い人間性が要求されていますね。

矢澤私も少しばかり会計学をかじりましたが、あのような考え方を日本の会計学界や会計人の中に導入する必要がありますね。技術論に入る前に……。特に独立性の問題は重要な意味を持っていますね。

飯塚業界に独立性の話がなさすぎる。

本誌ところで、飯塚さんがそれらの必要性を強調して『会計』に連載された「正規の簿記、帳簿の証拠性」の論文のドイツでの出版の話は、その後どう進んでいますか。

飯塚西独ベック社で来年出版されます。

矢澤それはお目出とうございます。それとシュマーレンバッハと田中耕太郎先生のくだりも面白いですね。

飯塚あれは立教大学の高橋教授からシュマーレンバッハの誤りがあるなら言ってくれと抗議が来たので、第1に……第2に……と間違いを指摘してやりましたよ。

どういうことかわかりませんが、シュマーレンバッハの第1版が出たのは1919年、第5版が出たのが1931年ですよ。あの間のことですがかなりの年数がたっていますね。

しかもその間にドイツでは「正規の簿記の諸原則」に関する判例が5つも出ている。その5つ出ている判例をなぜ載せないのかというのが私の論点なんです。これは重要な判例なんです。

そのうえ第5版では判例の採用が1918年でストップしているということが重大なんですよ。

それと1919年にエンノーベッカーの出版した『国税通則法』について一言半句もふれていない。こういう意固地なことをやるから、それを金科玉条のように鵜飲みした日本の学者が間違うわけです。

つまり貸借対照表を専門家的に作ることが実定法上の要請であると書いてある。それをドイツに留学していた田中耕太郎先生は、ラードブルフ教授について勉強しながらシュマーレンバッハを研究したのです。そして後に、テキストにその第5版を使って書いたのが「貸借対照表法の論理」です。だから私はその間違いを指摘しているのです。

矢澤私も学生のとき、ケルゼンについての講議をききましたが、ケルゼンの『純粋法学』なども1版と2版では70パーセントくらい内容が違っているようですね。

飯塚ドイツの学者の著作は、版ごとに中味がかなり変化して行くのが特徴ですね。

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