飯塚毅博士アーカイブ
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飯塚事件

国会での論戦(昭和39年3月4日〜6月5日)

飯塚毅税理士らによる国会議員への訴えの結果、社会党が飯塚事件を国会で取り上げることを党議決定し、 昭和39年3月4日衆議院大蔵委員会で「飯塚事件」が取り上げられた。

質問に立った、社会党の横山利秋議員が木村秀弘国税庁長官に対して、「強圧的調査」をただちにやめるように迫った。 これに対して木村国税庁長官は調査に違法性はないと回答。

質疑は別段賞与の妥当性、さらに調査の不当性に及び、横山議員は、地元税務署によって作成された 飯塚毅会計事務所からの関与先企業の離反を促す文書「税務書類作成に関する依頼書」を示して、当局の狙いを示す動かぬ証拠と断じた。

第1回の国会質疑に続いて、以後衆議院大蔵委員会税制小委員会において、さらに3回(4月16日、5月16日、6月5日) にわたる質疑が行われ、国税庁長官に対する追求は厳しさを増していった。

第4回(6月5日)の国会質疑

自由民主党の渡辺美智雄議員が質問に立った。飯塚毅税理士の脱税を確証したかのような断定的な情報を報道機関に再三にわたって流した点を厳しく追求した。また、別段賞与の支給について、脱税の意図があったかどうかを調査するために、自らテープレコーダーを持って、関与先数十社を訪ねてインタビューを行ったが脱税指導の事実はないと述べた。当時渡辺議員は、当選間もない一年生議員だったが、現職の計理士・税理士として栃木県那須町で会計事務所を開業しており、飯塚毅税理士とは旧知の仲だった。さらに全日本計理士会が有力な支援団体の一つだった。このような渡辺議員の活動に対して、自民党本部からは離党勧告さえ行われたという。

なお、国会質疑の矢面に立った、木村国税庁長官は翌年(昭和40年)2月5日付けで依願免官により国税庁長官を辞した。