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飯塚事件の裁判(昭和39年5月1日〜昭和45年11月11日)-1職員4名の逮捕納税通信・昭和39年3月21日発行
昭和39年3月14日、宇都宮地方検察庁は、飯塚毅税理士と職員4名の家宅捜索をし、同日、税理士法第36条(脱税相談等の禁止)違反の容疑で職員4人を逮捕した。税理士法違反の嫌疑があるなら、まず飯塚毅税理士の逮捕があり、しかる後、会計事務所職員を不正経理を指導したとして逮捕するのが常道である。 昭和45年3月13日、証人として裁判に出廷した木村仁一郎検事は次のように証言した。 「(弁護人)なぜ飯塚毅税理士を逮捕しなかったのか。 (木村検事)4人の被告人は直接法人に接触して指導しておるんですが、飯塚氏が直接経理事務を指導したという 証拠がなかったわけです。従って、税理士である飯塚氏と被告人らが共謀したかどうかという点が飯塚氏を逮捕し、あるいは検挙するポイントであったわけですが、被告人らを調べた結果、嫌疑はありましたけれども、強制捜査にふみ切るだけの証拠はなかったということです」(『飯塚事件裁判記録』第9巻) 過酷な取り調べ4人の取り調べの中で、飯塚毅税理士の脱税指示の事実を自白させ、その後、飯塚毅税理士を逮捕するというのが 検察当局の考えたシナリオだったと推定される。ところが4人の職員からその証言は得られなかった。検察当局は10日間の勾留期間が経過した段階で、税理士法違反容疑事実が成立しないと分かるや、さらに10日間期間を延長し、その勾留最終日に突如「法人税法違反(逋脱)教唆の罪(法人税法第48条1項・刑法第61条)及び証憑湮滅の罪(刑法第104条)」に切り替えて起訴した。その結果、4人の職員は、昭和39年5月1日まで勾留されることになった。被疑者としての勾留期間中、検察当局は税務当局が脱税として追及してきた別段賞与の架空性を4人に認めさせ、それが飯塚毅税理士の指示に基づくものであることを自白するように強要した。 「この勾留47日間、検察官の取調べは長期間にわたり、睡眠の補充、休養について特段の配慮を加えないまま、 ほぼ連日連夜にわたって続けられ、しかも執拗な理詰めによる追及がなされるなど異常な状況、またはその影響の継続する状況のもとにおいてなされた」と判決文には記述されている。取調べに当たり、検事から「飯塚事務所は潰れるぞ」とか「お前はいつまで飯塚にくっついているのだ。自分の身が大切だ」、「弁護士は飯塚がやとっているのだからお前達のことは考えていないぞ」、更に「発狂しないようにしろ」等々、威迫的、誘導的言辞を弄した取調べをしたのである。(『飯塚事件裁判記録』第9巻) |
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