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恩讐を超えて-17年にわたる飯塚事件が終わった。飯塚毅博士は、今は亡き植木義雄老師の教えに従って「相手の一切を許し超越底に生きる」道を選んだ。 「思うに、人間は万能の神ではない。いかに有能な官吏でも、一生一度の誤りはあろう。事件真実の責任者たる本人も、或いはやり過ぎたと後悔しているかも知れぬ。ただ立場上その一言が吐けぬだけかも知れぬ。真実そうなら、筆者もまた、恩讐を超えるにやぶさかではない。人生は一度であり、悠久の人類史から見れば、飯塚事件とて、ただ、一場の絵模様に過ぎないからである。 筆者はこの事件勃発後、心中密かに期するものがあった。雲巖寺の植木義雄老師に参じて30年。もし自分の参禅が偽ものならば、この大弾圧に屈して死ぬ他あるまい。これは自分を試す好機でもある、と。かくて弾圧の真最中の1月3日、参禅した。師を拝し、その面前で、昔元の将兵に殺されかかった無学祖元の偈を吟唱した。老師も共に和した。 乾坤無地卓弧 喜得人空法亦空 珍重大元三尺剣 電光影裡斬春風 乾坤地として弧を卓する無し 喜び得たり人空 法も亦空なるを 珍重す大元三尺の剣 電光影裡春風を斬る 当局は徹底した家宅捜査を行ない、数千点の書類が押収された。筆者の身辺の一切は洗われた。激動の最中に、早稲田に学ぶ長男から、父を信ずるとの手紙がきた。筆者は男泣きした。家庭は筆者の正義感に絶対の信を置いてくれていた。7年続く裁判の結果は分からない。巧緻なデッチ上げ調書をとるか、局面の本質を見る見識と気骨を採るか。それは裁判官の心中一点の価値観が、人生への祈りに貫かれているかどうかに依るだろう」 (飯塚毅著作集2『激流に遡る』375ページ) |
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