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飯塚事件

恩讐を超えて-2

7年にも及ぶ飯塚事件は、全員無罪の裁判結果によって終結の時を迎えた。飯塚毅博士は国側に損害賠償を求めるべきだといった周囲の声には従わず、昭和42年に遷化した植木義雄老師の声なき声に従うことを誓った。

「臨済宗の宗祖たる臨済義玄禅師の語録に『聖を愛し、凡を憎まば、生死海裡に浮沈せん』という言葉がある。 聖を愛し、凡を憎み、正義を愛し、不正を憎む、これが通常人の消息であろう。しかし、臨済禅師にいわせれば、それではお前は、永久に、生死という相対の世界から出られないぞ、というのである。この思想は、禅のみもつものではない。『固なる哉丘や』と叫んで孔子の頑迷を嘆いた荘子は『化声(是非の弁)の相待つは、其の相待たざるが若し、之を和するに天倪を以てし、之に因るに曼衍を似てするは、年を窮むる所以なり』(斉物論)と道破して、是非を超え、生死を超えた世界にこそ自適の世界を見出すべきだと説いている。

小生も、臨済の正統を伝える植木義雄老師に参じて30年。老師もいまは亡いけれど、是非を超え、生死を超えた境涯に、 いま如実に生きられないとすれば、どの顔をさげて墓前に拝することが出来ようか。禅の学徒として、とうてい自分を許すことはできない。

植木義雄老師が生きておられたら、何と言われるだろうか。

『汝の怨念と約束とを貫いて、彼の官僚としての息の根を止めることに全力を掛けよ』と言われるか。

それとも、『飯塚よ、宗祖臨済の教えに聞け、相手の一切を許して、超越底に生きよ』と言われるか。 かつて、ハロルド・ラスキは『憎悪の子は憎悪でしかない』として、現代共産主義の理論を退けたことがある。憎悪に対するに憎悪を以てするか、愛を以てするか、孔孟の説に従うか、荘子の言に耳を傾けるか、である。私は、声なき老師の親言に従い、宗祖臨済や荘子の生き方に従うこととした。

現実の人間の歴史は多かれ少なかれ、こういう生々しい七花八裂の場を経て、刻まれてゆくのではあるまいか。

生死憎愛の濁流を、真に超出して生きるためには、人間は個の背後に宇宙的なるものを感得して、 この大宇宙の命脈の中に安住の世界をもつ他は無かろう。これを、脱落身心、身心脱落の境涯といわんか。これが飯塚事件を貫く、私の生活原理だったのである。

謹んで香をたき、亡き師の霊に合掌する次第である」 (『税務署への告発状』高田茂登男・三一書房 あとがき「飯塚事件の終結をみて」飯塚毅)

<以上>

 

【飯塚事件参考資料】

『不撓不屈』(高杉良・新潮社)

『税務署への告発状』(高田茂登男・三一書房)

『租税正義の実現を目ざして』(TKC出版)

角川ヘラルド映画/DVD『不撓不屈』(製作:ルートピクチャーズ)

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