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追悼座談会〜飯塚毅先生を偲んで〜-3

相を取らざれば、如のごとく不動なり

――入会後、飯塚毅先生との交流で印象に残っていることは?

仁木 昭和46年6月、京都グランドホテルでのこと、飯塚毅先生がロビーにやって来られました。私はそのときはもう、『合理化テキスト』を何度も読んでおったので、「これだけ引用の多いテキストを書かれるのは、さぞ大変ではないですか」と尋ねました。そうしたら飯塚毅先生は、「仁木君。同じようなことを結婚した当時、家内からもよく言われたよ。文章を書くのに何も下調べをせず、のっけから書いてもいいんですか、と。そのとき僕は、『お前と寝室を共にしているとき以外は、常に本を読んでいるだろう』と答えたんだ」と楽しそうに笑っていました。厳しい中にもユーモアたっぷりで、それが私にとっての飯塚毅先生の一番の印象です。

宮崎 私はシステム委員として、レーダー・チャート・システムの普及徹底を飯塚毅先生から指示されたことがありました。それで、関信会の長野支部からの招請を受けまして、生まれて初めて大勢の前で話をしたわけなんです。ところが、緊張して頭の中は真っ白になるし、自分でも何をしゃべっているんだかさっぱり分からないという体たらくでした。そのことを飯塚毅先生に申し上げると、「研修所の講師を務めている者は全員集まれ」ということになりました。

石川 確か、川口のTKC埼玉計算センターに集合したんだよね。

宮崎 そうでしたね。そのとき、飯塚毅先生から教わったのが「相を取らざれば、如のごとく不動なり(不取於相、如如不動)」という、お釈迦様の言葉(金剛経)でした。爾来、私は人前でしゃべるとき、必ずその言葉を思い出すようにしています。

もう一つ、「序破急」という教えもあり、この二つは、講師を務める者が身につけねばならない、演説の極意だと飯塚毅先生は説明されました。

――あのころ、飯塚毅先生がしきりと語られていた言葉を思い出しますね。「来たるも亦前ならず 去るも亦後ならず 百億毛頭、獅子現る 百億毛頭、獅子吼ゆ」と。これは無学祖元の偈です。

石川 私の思い出ですが、昭和56年6月20日、調査省略・申告是認を実現するための本部運営委員会が設置され、研修委員長だった私が標準化した「巡回監査報告書」を作成することになりました。

私は各地の先達会員から20―30の報告書を集め、それを基に監査項目を57項目まで絞った原案を固めました。茅ヶ崎の飯塚邸に伺い案を検閲に供したところ、「せっかく全国統一のものを作るのだから、見開きの右頁に監査項目を持っていき、左頁には監査上の注意として項目毎に根拠条文や解説を加えてはどうか」と示唆されました。それからの作業が大変でした。会長講演レジュメや研修所で使っていた巡回監査のテキストなどを頼りに、私のヘタクソな字そのままの修正案を、何とか飯塚毅先生の検閲に再度供したのです。それは今も私の手元にありますが、先生は一頁毎に丁寧に朱を入れてくださっています。

最後の検閲は第5次案で、それを見ると先生の自筆で、〈飯塚校正終了S57・4・30〉とあります。こうして完成した「巡回監査報告書」が、当時のTKC用品センターから販売され、全国で使われるようになったのです。

宮崎 先生は、〈この報告内容は、天地神明に誓って真実であり……〉といった厳しい文言を「巡回監査報告書」の表紙に入れてくださったんでしたね。

石川 そうです。当時の資料を眺め、飯塚毅先生の発想の真意を推察するに、職員の錬成のためであるのはもちろんのこと、税務職員に対して「TKC会計人はここまで注意を払って巡回監査をしているのだぞ」と知らしめ、勉強させるためでもあったのでしょう。

それともう一つ、「完全性宣言書」の最初の文言に〈私は、私の権限と責任において……〉とありますが、そこまでは私が書いたんです。しかし、行き詰まってしまった。それで仕方なしに、飯塚毅先生に全文を書いていただいたのでした。

――そうでしたか。飯塚毅先生が……。

石川 そう。それまで日本中どこにも存在せず、どんな文書にすればよいのか誰も分からなかったから。この宣言書は、日本の会計人業界において、まさに画期的なものだと私は今でも確信しています。

ちなみに、宣言書の裏面には〈経営者の皆様へ〉と題した解説文が載っています。これは、何も経営者に向けたものではなく、我々会員のプライドを傷つけまいという飯塚毅先生の配慮からなのです。

――私も思い出を一つ、株式会社TKC広報部(現TKC出版)設立のとき、公証人から定款認証できないと言われました。その理由は、会社の事業目的がTKC会員及びその関与先企業の繁栄に貢献するとあり、営利性が希薄なことから社団法人や協同組合が相応しい、ということでした。私は困ってしまい、茅ヶ崎の飯塚邸へ伺ったのが、昭和47年9月2日のことです。

事情を聞いた飯塚毅先生は、これから話すことを筆記するようにと言われました。

「全国に散在するTKC会員のために、TKC設立の理念にもとづきその職員の錬成、会員への諸情報の提供及び会員会計事務所の合理化と収益拡大のために、TKC全国会の諸機関の意図にもとづき広報活動に従事することを主眼として設立するものである――。これを日本国憲法にならって定款の前文に入れなさい」と。

かくて、公証人は黙ってこれを通してくれました。

こうして私は飯塚毅先生から、何が物事の本質かを見極める能力を涵養することの大事さを学びました。

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