飯塚毅博士アーカイブ
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飯塚毅博士のプロフィール-3

空前絶後の試練(飯塚事件)

昭和38年のある日、青天の霹靂のようにその事件は始まった。脱税教唆等の容疑で、関信国税局による未曾有の規模の税務調査が、飯塚毅会計事務所とその関与先に対して行われたのだ。いわゆる「飯塚事件」の勃発である。飯塚毅税理士の孤立無援の闘いが始まった。やがて職員4名が逮捕され、一度は自らの逮捕も覚悟する。不当な嫌疑であると主張する飯塚毅税理士への理解者が次第に増え、事件は国会で取り上げられ、国税庁長官への厳しい質疑が行われた。昭和45年11月、飯塚毅博士と飯塚毅会計事務所の潔白がついに証明され、無罪判決が出され、7年に及ぶ事件は終息した。飯塚事件は作家高杉良氏によって『不撓不屈』(新潮社)の標題で小説化され、平成14年に出版された。さらに平成18年6月に映画化され、多くの人に知られることになった。

TKCの創設、TKC全国会の結成

昭和37年、飯塚毅博士が日本の会計人代表の一人として第8回世界会計人会議出席のために訪米した際に、全米の銀行が財務計算受託を開始している事実を知り、日本の会計事務所の先行きに強烈な危機意識を抱いて帰国。計算センター設立を思い立った。「飯塚事件」の勃発で計画は数年遅れたが、4年後の昭和41年10月22日、株式会社栃木県計算センター(TKC)を設立。43年からは財務計算の受託センターとしての活動が始まった。『電算機利用による会計事務所の合理化』をテキストに、会計人としてあるべき姿と事務所の電算化を呼びかける会員導入セミナーを全国各地で開催した。

これに応える会計人の数も当初は少なかったが、昭和45、46年頃から急増していった。TKCのセンターを利用する会計事務所が増加する中で、全国組織結成の機運が生まれ、昭和46年8月、税理士・公認会計士の集団である、TKC全国会が結成され、飯塚毅博士がその初代会長に就任した。TKC全国会の設立理念は次のようにうたわれている。

「租税正義の実現を祈念し、自利利他の聖行の実践を願い、国と社会と働く者とに対し正しい使命感を抱く会計人のみの参加を求め、かかる参加会計人の全国的一大集団を形成して驀進し、古今未曾有の一大勢力を構築する以外にその目的達成の道はないとの結論に達し、ここにTKC全国会を結成した」(「TKC全国会会則前文」昭和48年3月24日)

その後、TKC全国会は、租税正義を求める会計人集団として発展し、今日に至っている。

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