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法の前にはみな平等-1対談者(敬称略・順不同) 大学教授から政界へ本誌お二人とも独法を勉強され、ドイツとの関係が深い点では共通項がありますね。 飯塚いや、稲葉先生はドイツ法律の大家であり、法学博士、中央大学教授、自民党憲法調査会長と元法務大臣と来れば、私なんぞは・・・・・・。 稲葉どうしてどうして、飯塚会長のドイツ税法学の造詣は当代第一人者だ。まったく感心した。ヒルトンホテルでのお話し、政科研での講義など、まったく圧倒されたよ。 飯塚ところで、先生は、中央大学教授におなりになったのは、いつですか? 稲葉昭和11年中大法学部卒、15年大学院卒。20年法学部教授就任ですよ。 飯塚そうですか。私は東北大の法科ですが、年齢的には七つ八つ後輩になりますね。 本誌稲葉先生の学位論文のテーマはなんだったんですか。 稲葉「西ドイツ基本法制定史の考察」というのだ。昭和26年の4月から10月位迄ボン大学に客員教授として滞在して勉強しましたよ。ドイツは敗戦の混乱の中から立ち上ろうとしていたし、日本もまだ、戦後のひどい時代だった。 飯塚ドイツの第2次世界大戦敗北の後の混乱期によく招待して呉れたですね。 稲葉そこが、ドイツの賢明なところだろうなぁ。私の研究のためには随分、面倒見て呉れましたよ。帰国して学位を得るには10年の歳月を要しました。昭和37年ですよ。学位を取り、すでに国会議員でもあったし、河野一郎さんあたりから「大学の先生をやめて、政治一本で行け」なんてハッパかけられるし、勤続25年にもなったので、思い切って退職したんですよ。よき後輩の指導者も育ってましたからね。たった150万円の退職金貰って。 飯塚勤続25年の大学教授が150万円とは気の毒な。 稲葉稲葉法律事務所の敷金にも足らなかったよ。 本誌民事と刑事どちらが得意な弁護士事務所ですか。 稲葉それゃあ、刑事さ。仕事の出来る若い弁護士が3名頑張っているさ。勿論、民事だって専門家がいるがね。 飯塚ボンは静かな首都ですね。東京のように、巨大化してない。地方分権の憲法が生きているからこそ、ボンが首都で成立するのでしょうね。先生は、ベートーヴェン・ハウスに行かれましたか。 稲葉留学の一人身でしたから、よく行きました。ハウスでコンサートがあり、「ピアノ・ソナタの夕」や、「弦楽四重奏」などを聞いたものですよ。 飯塚私も、ボンで1度でよいからベートーヴェンの第九を聞きたいと思いましたがチャンスに恵まれず、残念です。シラーの「歓喜」の詩を主題としたやつを。 稲葉ドイツのロマンはムジークだよ。 本誌18世紀の詩人ヨハン・ハインリヒ・フォスの詩の一節に「酒、女、歌を好まぬ者は、一生涯阿呆のままだ」とありますからね。 稲葉まったくだ。ドイツ精神の守護神のようなルターにしても「ムジークよ幸いあれ」だ。 | |||||||||||||