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(写真出典:飯塚毅先生追悼集『自利トハ利他ヲイフ』386頁)
法の前にはみな平等-4
教育は愛だ
本誌先生が文部大臣をなさっておられた時、知育偏重の打破をとなえられておられたが、近頃、文部省が具体的に動き始めた感じですね。
稲葉役所のやることは時間がかかるよ。教育の簡素化が目的だったんだ。ゆとりある教育がスローガンだよ。
飯塚稲葉語録にある、「一に身体。二に人柄。三、四がなくて、五は頭」。というやつですね。(笑)
稲葉私は25年間の教授生活をやり、その間に沢山の学生を教えた。特に、戦争中、戦時体制の教育の中で、学生達に、軍国教育を教え込まねばならなかったことに対する自己批判が強くあった。だから、絶えず、世界の平和と教育という課題が頭にあった。
明治以来、わが国の教育政策の欠陥には、官学偏重、私学軽視の傾向が根強かった。この訂正を願って、私学振興に力を入れましたよ。制度や予算の上でも。それから、外務省や文化庁にも働きかけ、国際文化交流にも協力しましたね。相撲協会の海外巡業、青少年の海外派遣等々。そして、日教組の誤れる教育偏向の是正には苦労しました。教師は「労働者」だとする人々。私は教師は「勤労者」であっても、労働者や聖職者だとは思いませんでした。教育の基本にあるのは「愛」だと思う。その他、大学制度の改革等々と文部大臣の仕事も大変でしたよ。衆議院議員生活の長い中で(当選回数12回)文教委員会との結びつきは、強く長いですね。
ああ、それから教えるで思い出すと、民社党の書記長の塚本君、教え子だよ。
「民主政治は非人間性と為政者のぜいたくによって滅ぶ
専制は人民に対する圧政と貧困によって滅ぶ」――モンテスキューの『法の精神』
飯塚日本の防衛がにわかに問題になってきています。世界の平和を願うことは誰にも負けぬものを持っていますが、アメリカの占領下に作られた憲法をどう改正するか、稲葉先生の専門分野ですが、お聞かせ下さい。
稲葉政治は、平和であるように、有事なんかにならないように、一生懸命やるのが当然です。一生懸命やっても、ソ連みたいなおかしな国があって攻めてくるかもしれない、有事になるかもしれない。有事は絶対起きないという保証はないのです。
日米安全保障条約に基づくアメリカから持ってきた武器、そういうものの機密は、刑事特別法をつくってありまして懲役10年という罰則になっております。しかるに、わが国で開発した武器の秘密の漏洩についてはわずか1年以下の懲役です。今度のスパイ事件で、イランが非常に欲しがったという74式戦車の秘密は漏洩されていませんで助かったと言っていました。やらないというのですから、やはり憲法9条は手直しをする必要が出てきたのではないか、私はそう思います。
それはどういうことかというと、憲法9条の第1項「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」これは不戦条約の文言そのままですがいいでしょう。ただ第2項で「前項の目的を達するため、陸海軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」、こういうことになっております。これの解釈に両論がございまして、侵略に対して、これを排除するための防衛のための武力は保持しても差し支えないのであるという論と、一切許さぬのだ、潜在戦力さえも許さぬのだ。こういう議論かずっと30年続いて今日に至っております。社会党はまだ非武装中立を取り下げておりませんから、したがって自衛隊違憲論ですね。しかし、公明、民社はすでに自衛隊は認知する、違憲ということは言わない。
本当はこの憲法は、占領下の憲法ですから西ドイツ基本法のように暫定憲法にしておけばよかったんです。暫定憲法にする規定もあったわけです。「10年後レビューする、再検討する、というアメリカ草案の1ヵ条があった。それがいつどこで消えたか私どもにはわからない」と起草者たるラウエル、ハッセー両氏は証言しております。そうすればその時期に再検討されて「前項の目的を達するため」というのはそういう意味だということになって、それなら自衛のための軍隊は持つという規定、いや少くとも解釈に改まっておったかもしれない。これは日本にとって非常に不幸なことでありますね。そうしていまだにそれが尾を引いて、こういう世界情勢になってきてもなおかつ日本の防衛の基礎が非常に脆弱なのです。
憲法は、国家・国民のためにあるのであって、憲法のために国民が犠牲になってたまるかと私は思います。
本誌憲法改正の問題は難問ですね。国民の合意形成が必要でしょうし、時間を要しますね。然し一方では、米ソの緊張、中東、アラブ、極東と戦争の危機がまったくないというほど平和な雰囲気ではありません。
お二人ともご多忙のなかをありがとうございました。
(編集主幹・木場康治)
(VANGUARD 1980年6月号より転載)
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