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(写真出典:飯塚毅先生追悼集『自利トハ利他ヲイフ』386頁)
“税制改革大綱”の誤謬を撃つ-4
ホッテントット語で記帳
飯塚そればかりじゃない。記帳する場合、言語を特定していないのも日本だけです。
加藤え? 日本語で記帳しなくてもいいんですか。
飯塚ええ、欧米ではどこでも、記帳にあたっては我が国の言葉を使いなさいと明記してある。例えばドイツ商法の場合は、独乙語でしかも独乙マルクで記帳しなさいとなっている。ところが日本はこれをしていない。
加藤勝手な言葉でいいわけですか?
飯塚構いません。先だっても、私が顧問をしているオランダの貿易会社に国税庁が調査に来て、たまたま仏語で書いてある方の帳簿を見せたら、税務官吏が顔色をかえてね「何事だ!」というわけですよ。しかし、ちょっと待ってください。日本の法律で、記帳するにあたって使用すべき言語の特定条項がありますか? あったら見せてくださいと言ったらスゴスゴと帰ってゆきましたよ(笑)。
加藤ホー、実に傑作な話だ。
飯塚外国語で記帳していいというのは、フランスの国税通則法第5条にあります。しかし、プラン・コンターブル・ゼネラルという会計計画(政令のようなもの)で仏語と特定していますので、いまは実務的には仏語を使わねばなりません。とにかく言語の特定がないのはこれまた日本だけです。
本誌税法後進国ニッポンの面目躍如(笑)。
飯塚ホッテントット語で書いたって適法なんだ(笑)。
加藤日本語で書きなさいという条文がなければそういうことになりますね。
飯塚誰も問題にしないが、実は重大問題なんです。
加藤ホッテントット語で書かれたら、税務官吏は解読できませんでしょうから(笑)、説明を求めるでしょうね。それに対して答える義務はあるんですか?
飯塚それは質問検査権の中に入っています。ですから横を向いて適当に、とにかく説明したという事実があればいい。これを当局が理解できたかどうかは別問題。理解力が弱いと考えることだってできるわけです。
だからこそ、誰もが理解できるような完璧な帳簿が必要なのであって、これを保障する十分な条文規定、つまり、任意でなく、日本語で、正しく記帳することを義務づけるべきなんです。
フランスの場合、コンセーユ・デタという行政裁判所がナポレオン時代からあって、そこが判例を積み重ねてきておりましてね、この36330号という判例に、何だかわからない書き方をした記帳は全面的に否認してよろしいとある。検証価値なしというわけですね。しかし、日本にはそれがない。だからホッテントット語で書いても、他人には理解できない独自のマークとか記号で記帳してもいいことになっている。これを否認する規定がないんですからね、おかしな国ですよ、日本は。
加藤ハッハッハ、実に愉快な話ですね。
それにしても、会長のように各国の税法に通じている人がいると、税務署も大蔵省もやりにくいでしょうね(笑)。
飯塚先だっても大蔵省の水野局長と対談した折(バンガード通巻82号)、水野さんがね「飯塚さんのと意見を取り入れて、税制をこのように直してきました。我々の努力もわかってください」なんて言ってました。しかし私は矛を収めませんよ。日本の税法の正しい姿を見届けることが、私のライフワークであり、使命だと思っていますからね。
先生のような影響力のある方に記帳の義務が法的にないことはおかしいと、アピールして頂きたいのです。そうすれば日本はいくらかでも改善されると思うのです。
加藤多くの人が誤解していますからね。さっそく今日もこれから講演に呼ばれていますから、チラッとその話を盛り込んでみましょうかね(笑)。
飯塚是非そうしてください。こんなバカな話がまかり通っていること自体が情けない。
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