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(写真出典:飯塚毅先生追悼集『自利トハ利他ヲイフ』386頁)
激動の昭和史を生きる-5
指導者は原理原則を持て
弾圧に抗して
飯塚もう1つ、先生が昭和38年に右翼に撃たれた。ちょうどその年の2月8日に当時の国税庁の長官が、飯塚は6億の脱税指導をしたということを新聞記者やテレビ記者にいっちゃいまして、私は大新聞に全部顔写真入りで、8段抜きぐらいで出ちゃって、「著名なる会計人が――というのは日本でも有名だったですから――脱税指導をしている、許しがたい」ということで、延べ5,400人の査察官を派遣してよこした。毎日90名です。
ところがそこから先、ちょっと先生と似ているんですが、私かあんまり悠々としているものだから、向こうが困っちゃったんです。こんなことがありましたよ。
ある日、朝8時ごろ私のところへ、調査官がきて出て来いというわけです。よろしい、と私の事務所へ行ったんです。もう彼らは来ていて、私を取りまいて、ああじゃねえか、こうじゃねえか盛んに質問攻めにするわけですね。それで1時間ぐらい質疑応答しまして大きな声で「本日はこれまで!」といったんです。そしたら国税庁の調査官がハッとこうやって(頭を下げる)あれは変なものですね。
田中(拍手して)気魄。
飯塚私は参禅やっていたおかげで、連日90人の調査官にやられたんですけど、悠々と構えているものだから、人が疑って、どうしておまえは平気でいるんだと。あれだけやられたら、おれたちだったら布団かぶって寝ちゃうというわけです。冗談じゃない。布団かぶって寝たって、布団の中へ恐怖感は押し寄せてくる。
田中誰かがあなたを陥れようとした奴がおるな!
飯塚居りました。犯人というか、知ってます。私憤を公務にすり替え、私に弾圧をかけたのです。
田中役人の特権を乱用する最も悪質なやり方で許せない。
アジアとの連帯
飯塚最後に、今後の日本のとるべき態度について国際問題の権威者である田中先生の意見をお聞きしたい。
田中日本の本籍はアジアだということだ。もっとソ連に対しても自主性を持つべきだ。そのためにも、中国やASEANと共に行動し、アジアのために奉仕せねばいかん。
飯塚脚下照顧ですね。
田中そうです。原点回帰が必要だ。たとえば、インドネシアとの関係。油といえば、中東ばかり考えるが、インドネシアは我が国にとって重要な同盟国ですよ。日本の必要な原油の17%がインドネシア原油です。それにインドネシアやマレーシアから年間850万トンの天然ガスが輸入されています。総需要の60%だということを忘れないで下さい。この友人を大切にすることですよ。
イランの石油化学に対して、政府は三井グループを全面的にバックアップし、政府のリスクで合弁事業を進めている。今度のイラン、イラクの戦争で7千数百億円の巨大な資金が吹っとびかねない。アジアで、もっと手近いインドネシアの開発に協力すべきだと思う。
飯塚インドネシアとの油の契約は、あと2年で終りになるかも知れませんね。
田中そうです。日本離れが、アジアの各国から起り、アジアの孤児になる危険性があります。
本誌世界のどこで事件が起っても、今や、日本と無関係だといって平然としている時代は過ぎたようですね。実に長いお時間を戴けましたこと感謝致します。
(編集主幹・木場康治)
(VANGUARD 1980年11月号より転載)
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