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8月15日、それは確実に毎年やって来る。そしてその日、戦争の悲惨さと愚かさを説く声は高い。
だが、日本が1945年8月15日を終戦の日と決定するのは、大きな転機を必要とした。敗北を認めない人はなお、早期終戦に動く人々を圧しており、下手をすれば内乱のおそれすらあった。 「終戦」への道は遠かった。今、その事を正しく語る人は少なくなって来た。時代の証人、歴史の目撃者、として、加瀬俊一氏は重い口を開いた。今まで語ろうとしなかった事実のいくつかを飯塚毅氏は引き出しはじめた。今こそ平和への祈念をこめ真実にせまろう!(本誌編集主幹 木場康治) 8・15終戦秘話-1対談者(敬称略・順不同) (かせ・としかず) 明治37年生まれ。東京都出身。東京商大(現一橋大)中退、外務省に入り、米国アマースト、ハーヴァード両大学に留学卒業。大臣秘書官、北米課長、情報部長、ユーゴスラビア大使、国連大使などを経て、現在同省顧問、鹿島出版会会長。外交評論にも活躍。著書『ナポレオン』『ワイマールの落日』『ロシア革命の現場証人』『評伝ヒトラー』『日本外交の憂鬱』『現代外交の潮流』など多数。米英において英文著作も出版。57年アマースト大学より名誉法学博士号を受ける。 人類を変えた3つの革命加瀬これまでの「バンガード対談」を拝読しましたが、飯塚さんは物事の本質を把握し、根本的にご発言されています。禅のお話など、私の存じている宗教家も出てくるので殊に興味がありました。実は、失礼ですが、会計のお仕事は金(かね)の世界のことという先入観がありましたので、驚きもし、それだけ感銘も深かった次第です。 飯塚そのようなおほめを頂くのは初めてで、私の方こそびっくりします。光栄です。 加瀬仲々面白い御経歴ですね。 飯塚いやいや。野育ちでして。 加瀬人間は野育ちがいいのですよ。花にも2つあって、野育ちの花は山林の花。そしてもう1つは鉢植えの花。私は今でも外務省へ呼ばれて話をさせられるのですが、外務省の連中は鉢植えの花ですね。私自身は鉢植えの花のように見えるかもしれませんが、そうではなくて野武士なのですよ。お目にかかるのを楽しみにして参りました。 飯塚それはどうも。 ところで先生のお書きになったものでロマノフ朝末期の怪僧ラスプーチンの死に際(ぎわ)を詳細にお書きになっておられたのが、記憶に残っております。かなり前のことですが。すごいな、と思いました。 加瀬それは『ロシア革命の現場証人』ですね。『週刊新潮』誌が発刊されてしばらくの時、たまたま、ロシア革命後、何年とかいうことで編集長におだてられ、物語風にということで連載したものです。その後、新潮選書になって、今までに十何万部か売れています。 フランス革命、ロシア革命、中国革命――。この3つの革命が人類の運命を大きく変えたと思うのですが、私、学生時代に西洋史の権威者、箕作元八の『フランス革命史』を愛読して、将来フランス革命を研究しようと思ったものです。外務省に入ってから、ヨーロッパにも長年いたものですから、その方にこりまして、それは『ナポレオンの研究』になりました。 飯塚なるほど。それで思い出したのですが、イギリスの社会主義G・D・H・コールの“Inteligent Mans Review of Europe Today”という大冊を、昔読んだことがありますが、あの中にもロシア革命のことが詳細に書いてありました。 加瀬コールのはいい本です。ただ、日本人には向かないかもしれません。革命派の中にも、過激派と穏健派とかいろんな派があって、その理論闘争がまたむずかしいのです。 飯塚そうですね。 加瀬そこを我慢して読めば、ある程度、ロシア革命を理解したような気になりますがね。そんなことを週刊誌に連載したわけです。 本誌あの頃の週刊誌は、かなりいい読者がいた時代です。ボルシェビキとメンシェビキについての先生の詳細な説明は、私も興味をもって読みました。 飯塚ケレンスキー内閣で蔵相をやったミリコフ…… 加瀬なかなかの人物でしたね。 飯塚そのミリコフがイギリスヘ亡命して書いた“Volshevism an Internatinal Danger”も読ませました。 加瀬私、実は、ケレンスキーを直接知っているのです。ご承知のように、彼は、一時期“赤いナポレオン”と呼ばれたわけですが、後に反共になり、アメリカに渡ってスタンフォード大学の教授になりました。私、その前にヨーロッパで会ったわけですが、気が合いましてね。革命の時、自分が遭遇した事件、あるいは自分の行動を、自己弁護的なところもありましたが、話してくれました。それでいよいよロシア革命が面白くなりましてね。 飯塚なるほど、先生のロシア革命のご造詣は深いはずですね。 | |||||||||||||