
ホーム > [飯塚毅博士と私] バンガード対談 > 8・15終戦秘話-2
(写真出典:飯塚毅先生追悼集『自利トハ利他ヲイフ』386頁)
8・15終戦秘話-2
革命の共犯は傍観者
加瀬それほどでもありません。
ロシアヘは何回もゆきました。レニングラードの冬宮では、案内の外務省の人を待たせて、ケレンスキーが使っていた机と窓際との間を何度も往復して歩数を数えたものです。そうした臨場感がなければ、歴史書は砂をかむようなものになりますからね。
飯塚なるほど。
その頃だと思うのですが、私もパリで開かれた世界会計人会議に出席の途次、シベリア鉄道経由でレニングラードヘゆき、いま先生がおっしゃった冬宮を見にゆきましたが、そこでロシア革命の必然性を感じました。
本誌エルミタージュ博物館でも感じますね。
加瀬あの宝石を見ますとね。それとモスクワのあの武器庫と宝物殿。どこを見ても帝政時代は大変な搾取をしたんだってことがわかります。
革命の文献や資料を読めば読むほど面白くなって、随分当たりましたが、フランス革命、ロシア革命、中国革命、どれも本質的には同じだと思いますね。それはなにかというと、ごく少数の鋼鉄の意志をもった革命家が強引に引っ張れば、革命はできるんですね。
その時、中産階級はだめなんです。金持ちはもっとだめなんです。ひとごとのような顔をして傍観しているんです。だから革命は、ごく少数者によって達成される。同時に私は、傍観者が革命をつくる、と確信しています。
飯塚全くその通りです。
加瀬そうでしょう? そこでは、インテリは傍観者なんです。いまの日本の政治、社会を見ても、インテリはだめですね。
飯塚やはり傍観者で……。
加瀬傍観していて、気がついた時はもう遅い。とんでもない目にあう。それで、私は「革命の共犯者は傍観者である」というテーゼであれを書いたのです。
この『バンガード』誌は例外ですが、日本の多くのマスコミの潮流は日和見で、主体性をもたず、漂流しています。
政治家もそうで、漂流しないと当選できない。これは妙な風土ですね。日本という国はよくここまで来たものだ、と思います。
飯塚「傍観」といい、「漂流」といい、全くご指摘の通りです。それでもとにかく、問題はいろいろ表れているにせよ、敗戦から復興し、ここまで繁栄してきた……。
加瀬まあ、それは民族の素質が優秀だからでしょう。しかしそれには『指導者が愚劣であるにもかかわらず』というコメントをつけ加えねばならないでしょうね(笑)。
飯塚日本民族は、ずっとさかのぼれば、多くの民族が混合して、その多角的な潜在能力が磨きあげられ、それがいま発揮されている、という感じがしますね。
それにしても、革命は少数者の煽動と、その他の傍観者で起こるという先生のご指摘には全く同感です。フランス革命の場合のひきがねになったバスチーユ監獄の襲撃も、ひとりの主婦が「バスチーユヘ!」と叫んだことに発しています。ロシア革命の場合もだれかが「冬宮へ」と叫んだのでしたね。
加瀬そうです。そして、バスチーユ監獄というと、日本では大変な監獄と思われていますが、あの時、獄にいた囚人は10人足らずというのんびりしたものだったのですよ。
まあ、革命は煽動が上手であれば成功するのです。
本誌煽動といえば、ヒトラーは典型的な名人でしたね。
先生は、ベルリンでそのヒトラーに接触されたのをはじめ、第2次大戦をはさんで動乱の時代に、常に外務省の中枢で活躍され、いわば現代史の貴重な証人でいらっしゃる。
そのあたりのお話を、たっぷりお聞かせ願えませんか。
前ページ 1 2 3 4 5 6 7 次ページ
(2/7)