飯塚毅博士アーカイブ
プロフィール植木義雄老師との出逢い飯塚毅会計事務所と巡回監査飯塚事件TKC創業とTKC全国会結成
法改正への提言DATEV創業者 Dr. セビガーとの交友研究業績飯塚毅博士の言葉著作物・講演記録
ホーム
 
追悼座談会
飯塚毅先生との出会い
飯塚毅博士と私
バンガード対談集

飯塚毅博士と私

8・15終戦秘話-7

陛下への内奏書を執筆

加瀬さて、いままでお話ししてきましたように、私が裏方をやった8月15日の終戦になり、鈴木内閣は総辞職して、17日に東久邇宮内閣になりました。そして、9月2日、ミズーリ号上の降伏文書調印式です。私も重光さんたちと一緒に全権団の1人として出席しました。

そういう時には、全権はゆく前に陛下にお目にかかって、自分の気持ちを申し述べるのが慣例なんです。私はそれまでも外務大臣、時によっては総理大臣の内奏書を書いていましたが、この時も執筆したわけです。重光さんが陛下の前で読みあげたその内奏書は、こういう趣旨でした。

「歴史あってこの方、戦争は間断なく繰り返されてきた。従って、戦いに敗れた国の数は無数である。負けることに大した意味はない。負けた国がいかにして再び立つかが問題である。そこで、今はいい反省の機会だから、日本はなぜ負けたかということを考えたい。それはアメリカに対して物量が足りなかったとか、地の利を得なかったということではない。もっと倫理的な面がある。倫理的な面においてのみ正しい答がある。戦いに敗れたことは残念であり、陛下も当然お悔みと存ずるが、われわれはこれは屈辱の日だとは思っていない。後世の史家をして、日本はあの無条件降伏調印を第一歩として、再びたくましく再建の歩みを始めたのだ、といわしめる気持で調印式に参ります。肩をそびやかし胸を張って、陛下のお使い役を果たして参ります。後世の史家をして、日本の歴史の最も輝かしい日として、この日を賛嘆させたいというのが、私の気持でございます」

われながら、一世一代の名文です(笑)。

飯塚日本人全体が敗戦にうちひしがれて意気阻喪していた時、かくも格調の高い文章をお書きになったとは、感嘆のほかありません。これは文章能力ではなく、勇気と品格の問題です。

加瀬重光さんが読み上げますと、陛下はポロポロと涙を流し、うなずかれました。

当日は、朝4時半ごろ首相官邸を出ました。水盃をしましてね。途中で殺されるのではないか、と思ったわけです。

横浜までの途中は、むろん一望の焼け野原で、所々に焼け残った蔵がぽつんと立っています。暑くてね。モーニングにシルクハットですから、一層ひどい。あんな内奏書を書きはしたけれど、いったい何時になったら日本は立ち上がれるか、と思ったものです。

ところが、日本は短時日のうちに立ち上がりましたね。これは、最初に申し上げたように、指導者はだめでも、日本民族の素質は立派だということでしょう。

この「バンガード対談」ではいつもは飯塚さんがいい発言をされていらっしゃるのに、きょうは私が1人でしゃべってしまい、失礼しました。

飯塚「めぐり合わせでそうなっただけ」とご謙遜のお言葉でしたが、日本の国運をわがこととして憂え、数少ない貴重な裏方のお1人として、奇蹟的な“無血終戦”に導かれた経緯、歴史の現場で働いた生き証人でなければ語れぬ秘話を、有難うございました。

(編集主幹・木場康治)
(VANGUARD 1983年9月号より転載)

前ページ  1   2   3   4   5   6   7 
(7/7)