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飯塚毅博士と私-2

畏友と惜別

中央大学名誉教授・(財)租税資料館評議員 八木國之

 

先般、陸軍経理学校の同期生でもある畏友飯塚毅博士を失い、惜別の情を禁じ得ない。親交を深めたのは、昭和61年の春だった。彼が「日独法制における『正規の簿記の諸原則』研究」で、中央大学に法学博士の学位を請求された時、私は、大学院法学研究科委員長の職にあったのは奇遇であった。TKC自体との関係はともかく、私は前述の関係から独自のことにつき述べておく。

博士の学位論文は、米、英、独等の著名な法哲学者を含む、内外二百に及ぶ文献の引用や批判が多くあるので、学位審査委員3名は、原本との照合に大変手こずったそうで、審査に2年近くも要したゆえんでもある。内容は立派なものであったが、内外の著名な学者の学問的批判は、骨まで切る激しさが随所に見受けられた。これにつき彼は、自分は天下の野人だからと平然としておられたが、私は、内容が立派であることは勿論であるが、気品ある博士論文のためには、肉を切るところまでにしませんかと申し上げたら、なるほど!と随所の表現を修正されたことを想い出す。あの剛の中にも柔をかいま見た思いでした。

その前に、いわゆる飯塚事件があったことを知った。誤解によるとはいえ、官権の刑事事件としての弾圧に、一歩も屈することなく、長年月の苦痛にも正義を追求する不屈の闘いで無罪を獲得されたことは、刑事法学の私にとっては慄然たるものであった。学位論文における骨まで切る批判は無関係ではあるまい。

平成3年、飯塚毅博士が巨額の私財を投じて、財団法人租税資料館を創設されたが、その理事、評議員は皆、租税関係の専門家であったが、私は法律学者なのに創設当初より評議員会議長として13年間の任は、組織力の妙を思う。(飯塚毅先生追悼集『自利トハ利他ヲイフ』より。肩書きは2005年7月当時)

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