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飯塚毅博士と私-4

飯塚毅先生の手の感触

作家 高杉良

 

飯塚毅先生にまつわる資料読みを始めたのは、平成11年(1999年)秋のことです。

飯塚毅先生の日記などを読み進むにつれて、モチーフがふくらみ、書こう、書かずにいられないと、気持ちが高揚してゆくのを覚えました。『不撓不屈』の取材で、茅ヶ崎の飯塚邸にお邪魔したことは何度かありましたが、私が先生の謦咳に接したのは一度だけです。

平成12年4月17日以来私は、るな子夫人から先生の幼年期から「飯塚事件」に至るまでの来し方を回想していただくための取材を重ねました。私は取材にエネルギーの7、8割を投じることを旨としています。周囲の方々がハラハラするほどぶしつけなお尋ねもしますが、るな子夫人はいつも微笑を絶やさず、率直に正確に質問に答えてくださいました。

博覧強記ぶり、記憶力の見事さに、息を呑んだことも一再ならずありました。

るな子夫人の献身的な支えなくして飯塚毅先生の存在はあり得なかったと、思う所以でもあります。

同年12月8日、午後2時から3時間ほど取材したあとで、るな子夫人から「きょうは、容態がよろしいようですから、主人に会ってください」と言われたのです。僥倖としか言いようがありません。

「あなた、高杉先生ですよ。きょうはあなたの子供の頃の話を聞くためにお見えになったのよ」

ベッドで上体を起こした先生は、私の右手を両手で固く握りしめ、「おおうっ、おおうっ!」と言葉を発しながら、うなずかれました。

私は感極まって、目頭が熱くなり、先生の手を握り返すだけでした。

飯塚毅先生の手の感触が蘇ってきたのは復路の湘南電車の中です。ペンは剣より強し。先生はあの大きな手で国家権力という暴力と闘い抜き、筆圧の強い達筆で、『激流に遡る』など数々の名著を書かれたのだと深い感動に浸っていました。(飯塚毅先生追悼集『自利トハ利他ヲイフ』より。肩書きは2005年7月当時)

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