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(写真出典:飯塚毅先生追悼集『自利トハ利他ヲイフ』386頁)
「税制抜本改正」を語る(上)-3
経済の構造変化に即した税制に
シャウプ税制ではゆき詰まり
村山もう1回参ったのは、敗戦後の混乱時代です。
当時、われわれに指令を出すGHQに税のことがわかる人は皆無でした。担当者の1人は弁護士、もう1人は商務省の課長補佐クラスの役人。これが万事アメリカ流にやるよう指令してくるわけです。
焼け跡の日本、インフレが猖獗(しょうけつ)をきわめている時に、向うの税制を引いて予定申告制度をやれといってくるのですが、そんなものうまくゆくはずがない。あの時は滅茶苦茶で、当時500万戸あった農家の7割から税金を頂戴しました。企業はまだ復興していないので法人税はないに等しい。所得税だけが頼りでした。
飯塚そのうち、日本を弱体化させるより反共の一環として再生させようという風に米側の方針が変わり、ドッジ公使や、シャウプ調査団の来日になる……。
村山昭和24年2月にドッジ公使が来て1ドル360円のレートを決め、また通貨インフレの元凶だというので日銀引受――復興金融公庫の資金まで日銀引受でした――を差し止めた。
飯塚いわゆるドッジラインですね。日本政府のなし崩し的なインフレ収拾策を否定し、超緊縮財政によって経済再建を図るという……。GHQが23年暮れに出した経済安定9原則に基づいて、処方箋を書いたわけですね。「ディスインフレ」という言葉がはやりました。蔵相はホヤホヤの池田さん。
村山そうそう。
超均衡予算で、結局、インフレ収束に貢献したのはいいのですが、緊縮をねらうあまり食糧証券や外為証券も税金でまかなえという極端さでした。
それやこれやで、日本の税制も税務執行体制も混乱状態になったので、われわれは米側に対し「税のわかる専門家を寄越してほしい」と要望し、それでシャウプさんが来て、「これは無茶だ」というのでシャウプ勧告になったわけです。
シャウプ税制は、一口にいえば、全体として税の負担率を減らし、同時に地方に財源を賦与し地方財政を確立したことでしょう。
飯塚ドッジさんは、「インフレをおさめるには購買力を税金で吸収しなければならない」という考えでした。国民の税負担率は28%に達していましたからね。
しかし。私は、シャウプ税制の第1の功績は、やはり地方財政の確立だと思います。
いずれにせよ、シャウプ税制ができたあと、朝鮮動乱で復興の端緒をつかんだ日本経済は、高度成長に向い、税収もそれに応じて伸びたので、各年度の税制改正という小幅の手直しで近年までもってきたのですね。
村山これで話は元に戻るわけです(笑)。
59年、税制改正の時、われわれはお手上げになり、「抜本的改正が必要である」と「付記」で明示しました。それも「速かにやる必要がある」と。そしたら、党から「財政再建のついでに税制についても」と頼まれ、32回の会合になったわけです。
問題点を指摘し、ある程度方向も出しましたが、税というのは、ご存じのように、何人かの頭でいい案をひねり出しても、納税者が納得しなくてはうまくゆきません。
戦時中の昭和15年、あるいは戦後の占領下のように、戦争という大義名分やGHQの権威でやるのと違います。これだけ民主化した日本で根本的な税制改正をしようと思えば、多くの関係者の利害得失を十分に議論しませんとね。
もちろん、いくらそれをやっても、税金のことですから、「これは立派なものだ」という納税者はいないと思いますが(笑)。
飯塚その通り(笑)。
村山どんなに改正しても、納税者にとっては負担ですからね。「まあ、こんなところでしょうがないか」という納得を得てはじめて実施できます。村山調査会の報告も、そのあたりを念頭においてまとめました。
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