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(写真出典:飯塚毅先生追悼集『自利トハ利他ヲイフ』386頁)
「税制抜本改正」を語る(上)-5
経済の構造変化に即した税制に
経済の構造変化に立ち遅れた財政
村山これは経験値ですが、租税収入が歳出の80%以上あれば、財政は安全運転できます。残る20%は税外収入で、国の借金もその中に入る。しかし、建設国債であれ、赤字国債であれ、10%までが限度で、それを超すとなかなか回復できません。。
飯塚それが、最近は30%をはるかに超しているから、危機的様相ですね。
村山高度成長時代は、ならして名目16%、実質10%の成長率で、税収は24%伸びました。名目成長率と税収の伸び率の差8%は、所得税、住民税を中心に減税にあて、それでも税収の歳出に対する比率を80〜85%に維持できました。
飯塚自然増収が名目成長の1.5倍あれば、余裕をもっていろんなことができますね。減税にせよ、国の事業にせよ。
かつてドッジさんの監視下で超緊縮財政をやり、「貧乏人は麦飯を食え」の舌禍に泣いた池田蔵相が、安保の岸さんのあと政権を担当、「所得倍増」のスローガンを実現してイメージを一新したのもそのおかげですね。
村山高度成長時代に国民の負担率が変わらなかったのも、そういうことだったのです。
ところが、経済国家日本は成熟の段階に達しました。技術を取り上げていえば、ストックの技術に対し新しく加わった技術が所得を伸ばすわけですが、残高が集積されているから新しい技術が少々加わっても経済成長はそんなに伸びるわけがない。
そこへ、たまたま、昭和48年に第1次オイルショックがあって、それ以降、経済の伸び率はならして名目で10%前後に落ちました。
飯塚そうですね。
村山こうして経済の方には構造変化があったのに、「オイルショックによる一時的現象ではないか」と思って、政官界も言論界も学界もあまり意識しなかった。
本誌なぜでしょう。
村山そこがおかしなところですね。私の見るところでは、気がつくのに10年近くかかっています。48年から57年まで9年間の平均をとると、名目成長率10%に対し財政の伸び率は15%。その結果は明らかですね。
歳出に対する税収の比率は、48年には90%近くあったのに、58年は61%です。国債依存度は12%から37%に上がった。
飯塚それで「財政再建」の大号令、ということに……。
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