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飯塚毅博士と私

湾岸戦争以来、日本の危機管理能力が問われ、政治家と政府の対応能力に国民の失望と挫折感が広がっています。「日本株式会社」といわれる1つの組織的集団のどこに問題があり、どう対処したらよいのか。今回のゲスト佐々さんは、警察の外事・警備畑で活躍、60年代から80年代にかけての主な事件に全部関わり、初代内閣安全保障室長を務められた特異な元お役人。体系的なご本もお書きになっており、危機管理を論じては日本で最高の方です。「英国のように首相直属のポリシー・ユニットをつくれ」ともどかしがっておられる飯塚TKC全国会会長には待望のゲストでしょう。企業経営者にも参考になるよう、率直なご討論を期待しています。 (木場康治本誌編集主幹の挨拶から)

湾岸戦争-1
企業経営への教訓

対談者(敬称略・順不同)
 佐々淳行(評論家・元内閣安全保障室長)
 飯塚  毅(法学博士・TKC全国会会長)
 ※肩書きや発言内容は対談当時のまま掲載しています。

(さっさ・あつゆき) 昭和5年東京生まれ。東大法学部卒業。警察庁に入り警視庁、警察庁の外事・警備課長などを歴任。香港総領事に出向のあと、三重県警本部長、警察庁刑事局参事官。防衛庁に出向して人事教育局長、官房長、防衛施設庁長官を歴任の後、初代内閣安全保障室長。退官してからは評論家として活躍。危機管理問題についての権威として知られる。著書に「危機管理のノウハウ」PART1・2・3(PHP研究所)など。

「有事発言」の統幕議長を応援

本誌いま申しました主な事件というのはハイジャックでは「よど号」をはじめクアラルンプール、シンガポールでの日航機。シンガポールの時は直接現地に行かれた。今年久しぶりに卒業式が行われましたが、20年前の安田講堂の攻防、そのあと間もなくの浅間山荘事件では現場で指揮をおとりになり、エリザベス女王訪日の時は警備の責任者で、金大中事件も担当された。連続企業爆破事件では警備課長、大韓航空機撃墜事件の時は防衛庁の官房長――といった具合です。

飯塚そして内閣安全保障室長ですか。まさに特異なお役人(笑)。今日は貴重な経験から抽出される危機管理のご高話が楽しみです。最近ご本――『危機管理のノウハウ』を拝見しましたが、闘志とエネルギーの塊のような佐々さんの活躍がしのばれました。ご本にも高度の英知が詰まっていますね。

佐々いやいや、たまたまその衝にいたものですから。

飯塚同時に、あそこに提示された教訓を政治家や政府首脳が汲み取って、なぜもっと早く必要な法制化に努力しなかったのか。問題ですよ。

佐々そうです。

飯塚佐々さんが防衛庁におられるころかな。統幕議長の栗栖弘臣さんが、有事の際、自衛隊はこうすると本当のことを言って馘(くび)になりましたね。あれこそ日本の危機管理について憂国の発言だったと思うのです。

佐々その通りです。

飯塚私はあの時、本当の事を言ったのに馘とは何事だ、と義憤を感じましてね。防衛庁に電話しました。

「国家国民の運命を真剣に考えれば、あそこまで言わざるをえない。それを馘とは何事か。義によって栗栖氏に助太刀いたす。私の会社にお迎えしたい」

栗栖さんが出られたので同様に申しますと何日かして私の会社にお見えになった。人事の人が5人か6人ついていました。

佐々ほう。

飯塚私は提案しました。

「栗栖さん、あなたのお考えを実現するため国会に出られてはいかがですか。そのための費用は応援させて頂きます。その代わり1つ条件があります。月に2時間だけ、私に軍事情勢の講義をしにきて下さい」

本誌TKCにはそれまでも、陸将補をはじめ元自衛隊幹部のOBが何人もいたのですね。「自衛隊に対して理解がある」と感謝状を貰われた。

飯塚1年ほど私どものところに籍を置かれましたが、結局、「民主党の春日一幸さんに口説かれて出馬しますのでよろしく」ということになりました。

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