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(写真出典:飯塚毅先生追悼集『自利トハ利他ヲイフ』386頁)
湾岸戦争-2
企業経営への教訓
立法案つくったが金庫で眠る
佐々なるほど。あの時の隠れた応援者が飯塚さんだったのですか。私はそのとき防衛庁審議官でした。栗栖さんの言われたことは本当の事でした。それだけに大騒ぎになったわけです。「シビリアン・コントロールの建前を逸脱した軍事優先の考え方を現職の幹部でありながら言うとはけしからん」と。
統幕議長がやめるときは栄誉礼で送り出すのが慣行だったのですが、防衛庁首脳は栗栖さんについてはそれを禁じました。
飯塚やはりね。
佐々まあ、昔なら「切腹した奴を表門から出すな。不浄門から出せ」といったところですね(笑)。統幕議長室は防衛庁の本館6階にあるのですが、そこから出てはいけないと、陸幕の方から出ました。
それでも陸海空の制服組はみんな出て、見送りました。私は内局です。まかりならんということだったのですが、あえて見送りました。へそ曲がりですから、止められると逆になる(笑)。
飯塚あいや(笑)。
佐々結局、内局からは私と広報課長だけでした。彼も後に香川県から衆議院に出ましたが……。
栗栖さんは私の顔を見て驚いた風でした。そして送り出すと、制服組が一斉に私に向かって「有り難うございました」。
飯塚そうでしたか。
佐々現行法では、何かあっても戦車は赤信号で止まらなければならない。陣地を築くときは上地の所有権者を探して了解を得なければならない。緊急発進するときも航空管制官の指示する順番で飛ばなければならない。そういう決まりは今も変わっていません。
しかしそれでは自衛隊は任務を果たせません。審議官の私が担当して有事法制の研究を始めました。
飯塚私が法制化というのはそうしたことなのです。それを各部門でやらなければならない。
佐々自衛隊法の問題点を全部洗い出しました。例えば103条で「出動時のいろんな手続きは政令で定める」とあるのですが、その政令ができていない。その政令案をつくろうと。これを第1分類と呼んでいます。
第2分類は他省庁の所管にかかるいろんな法令と関連するものです、例えば青函連絡船は火薬類を何トン以上積んではいけないといったもの。海底にトンネルがありますからね。
また、野戦病院という観念は現行法ではありません。平和が前提ですからね。診療には病院法や医師法でちゃんと屋根のある診療所でなければいけない。今度湾岸に派遣された医師はテントの野戦病院で診療すると医師法違反になります。これは厚生省所管……。
飯塚うーむ。
佐々ほかにも、農水省所管、建設省所管など問題点はいっぱいあります。例えば何トン以上の戦車は舗装道路を走ってはいけない。トレーラーに積むこと――そういう馬鹿げたことがいっぱいある。この第2分類を、私は官房長のときやりました。
飯塚第1も第2も手がけたわけだ。それはどうなりましたか。
佐々案はつくったのですが、立法措置は11年たった今も手つかずで、防衛庁の金庫の中に眠っています。
飯塚先送りもいいところだ。政治家は何をしていたんだろう。
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