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(写真出典:飯塚毅先生追悼集『自利トハ利他ヲイフ』386頁)
我が道を征く-3
−勝者の論理−
氷は一旦溶かせ
飯塚それはおっしゃる通りですね。ところで、先生は梶浦老師に参禅なさったことがあるんですね。
川上はい。ございます。
飯塚いつからですか。
川上昭和33年に私が現役を退くかどうかを考えたときからです。その年、私は足首の関節の故障も思わしくなかったものですから現役を引退しようと考えたのですが、当時読売新聞社の社主であった正力松太郎さんはまだやれる、大丈夫だというわけです。また当時の巨人軍の監督だった水原茂さんは、足が悪いんならユニホームを脱がずにコーチとしてオレを補佐してくれということをいわれまして、三者三様の考え方になってしまったのです。そこで、正力さんが、それじゃオレがすばらしい禅僧を紹介するから岐阜の寺に行って1ヵ月ほど参禅してこいといわれまして、参禅してじっくり自分の考えをまとめてから結論を出したらいいじゃないかということで紹介していただいたのが、梶浦老師とのご縁なんです。
飯塚そうですか。岐阜の正眼寺というのは禅界では有名ですからね。
川上正力さんもそういわれました。鎌倉あたりにもたくさん禅寺はあるけれども、いちばんうるさいのは梶浦老師だから、そこで1ヵ月ほど坐ってこいと。
飯塚さすが正力さんですね。
川上そういうことで、私は初めて正眼寺に梶浦老師をお訪ねしたのですが、まず最初に老師は、「たとえ正力さんのご紹介でも、あなたが本気になってここで修業する気持ちがなければお断わりします。もしあなたが生涯かかって本当に“野球禅”というものを追求していこうという気持ちで参禅することを約束するならば修業を許します」といわれました。
飯塚なるほど。すごいな。
川上それで私も、その覚悟で参りましたからよろしくお願いしますと申し上げましたら、「よろしい。それじゃ少し試問しよう」ということになったわけです。まあ、試験といっても普通の対話でしたけれども、老師は「聞けばあなたは、よく打つというけれども、球を打つというのはどういうことなんだね」と球を打つときの私の心の状況を問われたんです。その問いに対して、私は、自分が体得した球を打つコツは、投手の投げた球を止めることですと答えたのです。つまり球を止めることができれば、それが上からこようが、下からこようが、あるいは横から曲がってこようが、1点で球が止まったというタイミングを体得すればいつでも球は打てる。私はそれができたんですと。だから自分ではこれが打撃のコツだと思っていますと言ったわけです。
飯塚先生の“球を止める”という話は有名な話ですけれども、これは確か昭和25年ころからすでに言っておられましたね。
川上はい。
飯塚そうしますと、球を止めて打つという体験を身につけてから梶浦老師のところに行かれたということですね。
川上そうです。そこで次に、「どういう球がいちばん打ち易いかね」と聞かれました。私は、カーブがいちばん打ち易い球ですと言ったわけです。普通ですと、カーブは変化球ですから打ちにくいとだれでも言うと思うんですが、私はカーブが打ち易いと言った。すると老師は、「どうしてかね、変化する球より直球の方が打ち易いと思うけどね」と聞かれた。いや、直球というのはピッチャーのいちばん速い球ですから、いちばん打ちにくい球です。カーブは直球に比べてスピードが遅くなるので、その軌道さえ頭に覚え込めば、スピードが緩いだけに球を止め易いんですよと言いましたら、老師は、「ああそうか、カーブというのは道草を食ってくる球だからダメな球なんだね」と言われました(笑)。
飯塚なるほど。球を止めるということは先生の努力の結晶なんですね。
川上そういうような口頭試問をいろいろやりまして、最後に老師は、こう言われました。あなたが野球の世界でいかに苦労されてきたか、よくわかった。いま修業している雲水の中にも、きみのような境地にまで来ているものはそう多くはいない。ただ、きみはいま野球だけに凝り固まっているから、これからは修業しながら、その凝り固まったものを一度水に溶かしなさい。氷はごつごつして器になじまないが、これを一旦水に溶かすと、どんな器にも入れることができる。これまできみが野球で体得してきたものを人生の中に正しくイコールがひけるような修業をしていきなさい。そうすれば、きみはりっぱなりーダーになることもできるし、また“野球道”というものを完成させる方向へ歩んでいくことができると。そういうことで修業が始まったわけです。
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