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(写真出典:飯塚毅先生追悼集『自利トハ利他ヲイフ』386頁)
我が道を征く-6
−勝者の論理−
健康児と虚弱児
飯塚それはすばらしいことだ。それが野球の神様といわれるゆえんでしょうね。それと私がつくづく思うのは、先生が小学生の時代から一貫して野球に打ち込むことができたというのは、その素質、精神力もさることながら、やはり健康に恵まれたということだと思うんです。
川上小学校時代から無欠席でした。
飯塚そうでしょう。先生と違って私の場合は小学校1年生のとき、夏のある夕方、猛スピードで走ってきた自転車にふっ飛ばされまして、それが原因で肋膜をやり、ついに、小学校6年間、一度も運動会に出されたことがなかったんです。いつもさびしく運動場の片隅で見ておったのです。大変虚弱だったんです。
川上いまお見受けしますと、とても生気にあふれておられますが、どのへんからそのような健康な体になられたのですか。
飯塚15歳のときですから中学3年ですね、そのときに立正大学の片山随英という先生が私たちの学校に来られまして、講演されたことがあったんです。そのあと、私は片山先生のところに行きまして、先生、どうか助けてくださいと言って、しがみついたんです。自分の虚弱性、意志の弱さを、何とかして克服したかったんですね。指を切って血を見ただけで吐き気がするくらいでしたから。そのとき片山先生は、「坊や、私も幼いときは弱い子だったんだよ」と言って、いろいろ話をしてくれたんです。先生が言うには、自分も寺のお尚さんに相談したんだと。そうしたら、毎日水を30杯かぶれといわれて、自分はそれを実行したんだと話してくれたんです。それで、私も15歳のときから大学を出るまで毎日、30杯ずつ水をかぶることにしたんです。16歳になって雲巌寺の植木老師のところに参禅に行きだしたのですが、この参禅によって、いつの間にか気力がついてしまったわけです。
川上大したものですね。お話していますと、気力がほとばしっている感じを受けますものね。とても大事なことだと思います。
飯塚老師には本当に厳しく訓えられました。
川上私は、先程もいいましたように、小学校6年間は無欠席でしたし、熊本工業での5年間も無欠席でした。また巨人軍に通算38年間お世話になりましたが、ここでも無欠席です。巨人軍の監督を14年間やりましたけれども、この間、巨人軍が練習をしたり試合をしているときには必ず私も現場におりました。それくらい体は強かったのですが、一昨年、胃潰瘍の手術をしまして、これでもうあまり自慢できなくなりました(笑)。
飯塚私の場合は、これは自慢できたことではありませんが、重病と称される病を今日までに8つもやっているんですよ。狭心症、心筋梗塞、後頭部神経症、大腸カタル、肺結核と、もう大病だらけでした。これを振り切ってこれたというのは、やっぱり禅による鍛練だと思います。これはそういう効能をもっていますね。三十数年前には十二指腸潰瘍にもなりましたが、これも切開しないで治しました。毎日カルシウムを70錠と緑汁を朝昼晩コップに1杯ずつ飲みましてね。これを3ヵ月間続けましたら潰瘍はきれいに治ってしまいました。
川上やはり意志が強いんですね。だって人間は頭の中では理論、理屈はいくらでもいえるけれどもそれを実際にやり切れるか、やり切れないかによって大きな差がつくわけですからね。さすがですね。
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