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(写真出典:飯塚毅先生追悼集『自利トハ利他ヲイフ』386頁)
我が道を征く-5
−勝者の論理−
本物は本道によってしか得られない
川上それは野球の場合でもまったく同じことがいえます。野球の世界では、グランドにカネが落ちている、名声が落ちているというようなことがよくいわれます。ということはグランドで一生懸命練習し、いい選手になろうとして訓練に訓練を重ねていけば、成績が上がりますから、後からおカネもついてくる名声もあがってくる、独身者ならいい女房もついてくる(笑)。そして後を振り返ったらもう終わりだと。言うならば、そこでもう進歩がとまったんだということを意味するわけです。だから、振り返らないで、先を見ながら1つでも2つでも自分の野球のプラスになるように訓練をし、努力をしてさえおれば、カネも、名声も、自然に伴ってくるということがいわれているんです。
飯塚私は、社員に対して、ランニング・クリエーションをやれと言っているんです。駆け足しながら、なおかつ前人未踏の創造性を発揮しろと。そうしなければ、日本の職業会計人はよくならない。際限なきクリエーションを続けるというのが、私自身の人生訓であると同時に、会社の目標でもあるんです。
川上過去は二度と返ってこないものですからね。ところが、未来はなんでも開けていくわけです。ただ、この未来というものに対してあまりいいことばかりを想像してはいけないと思うんです。というのは、やってみなけれがわからないですから。その可能性を描きながら、それを達成するためにいま何をすべきかを明確にして、現在に全力を投入していくことが必要ですね。そして、ハッと気づいたときに自分の描いたところに相当の成績で近づいていっているというような人生を歩きたいですね。
飯塚同感です。先生のお話をうかがっていると、つくづく“努力の人だなァ”と思いますよ。
川上もともと不器用な人間ですからね(笑)
飯塚小学校4年生からレギュラーになり、中学校では甲子園をわかし、プロ野球でも首位打者5回、本塁打王2回、打点王4回、生涯打率3割1分3厘というすばらしい実績を残されてきたわけですけれども、そうした精進の背後には、やはり迷い、悩みもあったんでしょうね。
川上それはありました。いい打撃を身につけたいということで、一生懸命やってきたんですが、やっぱりその過程では迷いがありましてね。リーディング・ヒッターだとか、ホームラン・キングのタイトルをとりたいというときになりますと、あと残り試合が10試合くらいしかないというとき、どうしても動揺してくるんですね。ですから、現役時代には、何かここで心が動揺しないような心の修業法がないものかと、よく考えたものです。
それで私は、軍隊へ入るときでも喜んで行ったんです。というのは、戦地で弾丸の下をくぐって、死ぬか生きるかの境地を経験すれば、球を打つとか打たないとかいうことぐらいで迷うようなことはなくなってしまうだろうと、そういう期待感があったからなんです。
しかし、自分で精進して打撃のコツをつかんでしまってみますと、本当のものはそういうところにあったのではないんですね。
飯塚なるほど。
川上やはり技術屋は技術を本気になって追求しているうちに、技術と心とが一体になったところをとらえるわけですね。つまり球を止めるというような、自分にしかわからない1つのコツをつかまえるのであって、それはほかの道から行っても決して手に入れることができないんだということがわかりました。
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