飯塚毅博士アーカイブ
プロフィール植木義雄老師との出逢い飯塚毅会計事務所と巡回監査飯塚事件TKC創業とTKC全国会結成
法改正への提言DATEV創業者 Dr. セビガーとの交友研究業績飯塚毅博士の言葉著作物・講演記録
ホーム
 
追悼座談会
飯塚毅先生との出会い
飯塚毅博士と私
バンガード対談集

飯塚毅博士と私

昭和から平成へ、大きな歴史の節目に采配を振るわれ、さらに消費税導入など後世に残る遺産を日々作っておられる小渕官房長官は、歴代官房長官数ある中でも、二・二六事件のときの官房長官――当時は内閣書記官長といいましたが――に比すべき官房長官ではないでしょうか。
 きょう(4月5日)は内閣の大番頭として刻々お忙しいところ、首相官邸に当対談の場を設けて頂き感謝に堪えません。
 4月1日から実施が始まった消費税を皮切りに飯塚会長とお話し合い頂き、竹下内閣、ひいては日本の針路についての展望、また御大喪に采配を振るわれてのご感想などを伺えれば幸いです。(木場本誌編集主幹の挨拶から)

歴史の大転換に立ち会って-1

対談者(敬称略・順不同)
 小渕恵三(内閣官房長官)
 飯塚  毅(法学博士・TKC全国会会長)
 ※肩書きや発言内容は対談当時のまま掲載しています。

(おぶち・けいぞう) 昭和12年群馬県生まれ。 37年早稲田大学文学部卒業。大学院政治学研究科で修業。38年衆議院議員に初当選(群馬3区)。以後連続して9回当選。45年郵政、47年建設各政務次官。48年総務副長官。49年衆議院議院運営委員会理事。 51年大蔵委員長。54年総理府総務長官。 57年衆議院安全保障特別委員長。 58年同予算委員会筆頭理事。59年郵政懇話会会長。61年衆議院予算委員長。自民党群馬県連会長。自民党総務。同党医療基本問題調査会会長。62年11月から内閣官房長官。

世界に感銘を与えた御大喪

飯塚私はご存知のように小渕長官のお隣の栃木の産でもあり、ご活躍には常々注目しておりますが、いま木場主幹が言われたように長官は最近特に、大変な体験をされました。これは政治家として大きな財産を手中にされたことでもあると思います。

小渕飯塚先生はじめTKCのみなさんには、日頃お世話になっております。

今お話にありましたように、私にとって大変貴重な体験の連続でした。自分自身は凡人中の凡人と思っていますが、運命のなんとやらでしょうか、図らずも……。

飯塚それはご謙遜。学生時代から、ご父君の跡を継いで政治の道を志し、昭和2桁世代のトップを切って衆議院議員に当選された。以来、福田、中曽根の元および前首相が根を張る激戦地群馬3区で連続9回当選、竹下政権実現を推進して、ネオ・ニューリーダーの声もかかり、選挙区での評判もいよいよ上々と聞いております。

とにかく、164ヵ国の代表が参加するという前代未聞の御大喪でしたが、それこそ粛々と遂行して、世界の日本を見る目が大きく違ってくるはず。その中心で采配を振られたわけで……。

小渕昨年の御不例から、御病状の悪化、ついに1月7日の崩御。そして2月24日の御大喪――昭和から平成への時代の転換に大役を仰せつかって、無事果たすことが出来たことは、政治家として望んで出来ることでありませんし、また望むべきことでもありません。

飯塚御容体が悪化したとき、自粛に行き過ぎがないようにと、タイムリーな官房長官談話を出されたのには敬服しました。

小渕行き過ぎは陛下の御心にもそぐわないと思いましてね。

本誌「平成」の年号が決まったとき、長官が墨痕鮮やかに元号を記した白木の額を掲げて発表されましたね。あの瞬間は印象的でした。テレビで見た子供たちが長官のことを「平成のおじさん」と言っているそうです。長官のあのときの英姿は次代を担う子ども達の脳裡に焼きつけられたと思いますよ。

小渕それは大変だ(笑)。

飯塚昭和から平成へ、文字通り歴史の転換を告知したわけで、御大喪の采配とともに国民の記憶に末永く残りましょう。

小渕御大喪の日は生憎、大変寒くて、各国元首はじめ弔問使の方々にお気の毒でした。

飯塚お天気が相手では仕方がありません(笑)。

小渕そうですね。「これだけは私のコントロールの外です」と皆さんに申し上げたことでした(笑)。しかし、厳しい寒さが却って深い印象を残したと言う方もありました。

伝統的な皇室の行事と新しい大喪の礼をうまく組み合わせ、1分の狂いもなく整然とお送り出来たので、各国の皆さんどなたも、改めて日本の組織力に感銘しながら帰国されたことと思います。

小さな肩ですが、大きな荷を下ろしてホッとした――というのが率直なところです。

飯塚ご苦労さまでした。

それで思い出すのは、昭和15年の紀元2600年の記念式典です。あの時は防共協定を結んでいた独伊両国の他には仲間がなく、日本はほとんど世界の孤児といっていい状況でした。対照的に今回は164ヵ国の代表の参列。昭和の時代を生きて来た者の1人として、感慨深いものがあります。

 1   2   3   4   5   6   7   8  次ページ
(1/8)