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(写真出典:飯塚毅先生追悼集『自利トハ利他ヲイフ』386頁)
歴史の大転換に立ち会って-8
坂本龍馬の先見に做って
本誌最初の政務次官が郵政。以来、そちらの方と縁が深いですね。情報産業議員連盟、CATV促進議員連盟の会長から、郵政懇話会の会長と………。
小渕郵政との縁は全く偶然なのです。1年生議員のとき、たまたま逓信委員会のポストが1つ空いたので、親しくして頂いていた橋本登美三郎先輩が入れてくれたのです。
本誌橋本さんはいわゆる逓信族の長老でしたね。
小渕そんな関係で最初に仰せつかった政務次官が郵政だったのです。昭和45年、33歳のときでした。
飯塚情報化が言われ、郵政省のお株が上がってきたころですね。私はコンピュータ会計を説いて全国を回っていました。
小渕そうでしたね。私も省の連中に向かって、「この省は郵便ポストだけじゃない。これからは未来産業である情報産業を発展させてゆくべきだ」と、檄を飛ばしたものです。
飯塚その通りになりましたね。今や郵政省は郵便の省から電波、通信、放送、さらに最近は金融まで扱う花形役所になった。
小渕その次は建設政務次官を仰せつかりましたが、このときは下水道のことを勉強しました。田中首相の「列島改造」花盛りの時代です。
本誌田中首相にも可愛がられたそうですね。
小渕ご存知の通り、田中首相は生まれながらの政治家でした。勉強家だし、人心の機微に通じていた。決断も早い。僕も「おやじ」と呼んでいました。
退陣のとき、私は、総理府総務副長官を務めていたのでよく覚えていますが、金脈問題はあくまできっかけで、石油ショックの方が直接の原因だったと思います。
本誌スケープゴート(犠牲の羊)になったというのですね。
たしかに、あのときは買い溜めが横行して物価はどんどん上がる、石油を手にいれようと産業界は目が血走っている――というような状況で、国民の不満は鬱積していたと思います。
ところで、長官が女房役をしている竹下首相については?
小渕トップダウンの中曽根さんと対照的に、竹下さんはコンセンサス型とか、“ボトム・アップ”型とか、おしんのような「忍の人」とか、みなさん分析しつくしているのではないですか(笑)。
本誌長官は坂本龍馬の大のファンで、議員会館の部屋には彫像だけでなく、「龍馬くん」というお喋り人形まで置いてある(笑)。
小渕「小さなことにこだわってはいかんぜよ」とか「心はいつも太平洋ぜよ」という龍馬節が飛び出すとスカッとします(笑)。
龍馬は比類のない先見の人。そこに魅かれますね。
飯塚先見力と洞察力、そして決断力は政治家に最も必要な資質。中でも先見力ですね。龍馬の「船中八策」はその後の日本の政治体制を、今日までずーっと見通したものだし、海援隊や亀山社中の事業活動は今でも経営者のバイブルです。
欧米の後について行くのでなく、独自の目標を持たねばならなくなった日本には、もう1度、今度こそ龍馬が要ります。
小渕長官の、政治家としての信念に基づいた、断固としたリーダーシップを期待したい。
本誌超ご多忙の中、貴重なお時間を有り難うございました。
(編集主幹・木場康治)
(VANGUARD 1989年6月号より転載)
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