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職業会計人の行動指針-4関与先の発展のために祈りをもって全力投球せよ会計人の中には、「うちの関与先は規模が小さいし、そんな高度なものはとても理解できないのだから」と勝手に関与先納税者の需要と頭脳水準とを、決めてかかっている会計人がかなりおられるように見受けます。それは、会計人が自己中心の発想法に立って、勝手に判断している結果に過ぎません。それは重大な誤りです。イリノイ大学のジョーンズ教授が言われたように「自己中心の発想法から抜け出ていないものは集団の中では成功しない」ものなのですから、早くそういう発想法の過ちに気づかれて、行動を修正され、自分を完全に忘れ去って、関与先の生の需要、ないしは本来の需要を引き出していただきたいものだと思います。 会計人は、決断と試行的先見の反復の中では生活していないのです。そこが決定的に一般の経営者とはちがったところです。 会計事務所も勿論、一個の経営体ですが、多くは生業あるいは家業の規模ではないですか。町工場以下の規模なんですよ。それが分かったら、一刻も早く自我意識を捨て去って、関与先中心に、祈りをもって、関与先の健全性、発展性に向かって全力投球すべきではないですか。(『職業会計人の行動指針』飯塚毅著・TKC出版) 職員は利己心の道具ではない職員の錬成は、当然に、所長先生からの、ある種の要求の提示とその反応の過程としても眺められるわけです。所長先生の要求の提示が、所長先生の内心の打算、利己心からの要求という性格をもっていますと、錬成は職員には逆作用として働き、所長先生に対する情緒の安定性破壊をもたらしますので、注意を要します。職員の錬成は、徹底して、職員本人の正しい成長を祈る立場で貫かれる必要があります。職員は所長の利己心の道具ではないからです。 ところが、この点では、失敗している先生が圧倒的に多く、職員錬成に成功している先生は非常に稀なようです。それは、所長先生が、発想の利己的性格に気付かれない結果であることが多いと思われます。人間は他の生物の生命を奪わずには生きてゆけません。また多少の利己心がないと生きてゆけないわけです。しかしそのことは、実践の原点に常に利己心を秘めていてよいということではありません。利己心を超克した透明な愛で職員の錬成に当らないと、職員は心服してついて来ません。では、所長先生さえ透明な愛をもてば、職員は必ず心服するかといえば、そうでもありません。35歳の釈迦が5人の弟子に離反されたこと、更に、一時に5千人もの弟子に造反されたことは、『法華経』に記録されて今に残っています。釈迦でさえそうでした。ここに人間社会の面白さがあると思います。 (『職業会計人の行動指針』飯塚毅著・TKC出版) |
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