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世界の禅のふるさと日本-2

サルトルと禅が頭の中で出会った

飯塚ご本によれば、学生時代から禅に関心をお持ちだったとのことですね。

私も、学生時代からさっき申しました植木老師に参禅したのですが、先生のご関心のきっかけは?

森本高校時代(旧制一高)にフランス語を教わったことになっている――といいますのは、教室にはほとんど出なかったものですから(笑)。

飯塚それは私も全く同じ(笑)。

森本その教わったことになっている寺田透先生が、当時、新進気鋭の文芸評論家で、『文藝』という雑誌に「正法眼蔵」論を載せておられた。教室以外で教わることが多かった先生なのですが、その影響です。

寺田先生はその後、益々道元に深入りされて、岩波の「日本思想大系」中の『正法眼蔵』2巻で全注釈を果たされました。

飯塚ほう。

森本もう1つはフランスの哲学者サルトルの影響です。

飯塚サルトルが禅と?

森本彼は禅の知識はなかったのですが、僕にそういう影響を与えたのです。

『存在と無』という大著がありましてね。当時は「何を書いてあるかわからぬから翻訳不可能」といわれ、知り合いのフランス人は「こんなものフランス語じゃない」と言う。

飯塚「明晰な文章でなければフランス語じゃない」と(笑)。

森本そうなんです。

僕は「それなら学生時代に読んでおこう」と、夢中になって取り組みました。その勉強が忙しくて大学なんか行っておられない。

飯塚ハッハッハ。それも僕と同じだ。

森本やっと読み終って大学に行ったら、たまたま鈴木大拙先生の講演の立看板が目に入りました。久し振りの大学なんで、どこに行ってよいかわからないもんで、「これ聞いてみよう」と。

その大拙先生の禅についての講演が、前の日まで読んでいた『存在と無』が扱っている問題と同じようなことを言っているように聞こえたのです。

飯塚こちらはサルトルで頭がいっぱいだから(笑)。

森本後で勉強したところでは、戦後サルトルが唱えて有名になった実存主義を、道元ないし禅と結びつけて考えた先輩は沢山いるのです。

飯塚僕はフランスの哲学には門外漢ですが、サルトルはドイツ観念論の影響を受けているでしょう。この方は、僕は学生時代から親しんでいるのですが、カントにしろ、へーゲルにしろ、ショーペンハウエルにしろ、インド思想の影響があります。だから、その時、先生の頭の中で大拙先生の話とサルトルの思想が照応しても不思議じゃないと思うのですが。

森本そうですね。

飯塚サルトルは別にして、仏教の経典に関する限り、フランス人の研究は進んでいますね。かつて、東大で宗教学を講じていた姉崎正治――号は嘲風――という大学者がフランスに行って、愕然としたという話があります。

森本そうですね。彼らはサンスクリットの原典から翻訳し研究して来ました。

20世紀に入って例の敦煌から発掘された文献は大体ヨーロッパに持って行かれましたが、フランスの国立図書館には禅に関するものが沢山収集されて、彼らが研究の先鞭をつけています。

飯塚仏教は日本にしか伝承されていない、などと言うのはまさに俗説ですね。

私は学生時代、「オクスフォード・クラシック叢書」でウッドワード教授の『サム・セエイングス・オブ・ブッダ(仏陀の言葉)』を読んで感銘を受けました。その序文に「これはパーリー語の原典から直接訳した」とあるんです。

森本オクスフォードは早くからサンスクリットの立派な辞典を出しています。日本ではやっと近年です。私はサンスクリット―フランス語辞典、日本流にいえば梵仏辞典を主に使っていますが。

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