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世界の禅のふるさと日本-3

アルプス山中で初めて坐禅

飯塚朝日カルチャーセンターで「正法眼蔵」の講義を長い時間かけておやりになった。その途中で弟子丸泰仙さんにお会いになったのですか。

森本いま申しましたような学生時代の経験があって、2、30年するうち『正法眼蔵』が少しわかってきました。たまたま縁があって、カルチャーセンターから依頼があり、無謀なことながらまた一生懸命勉強しながら講義したのです。

しかし、坐禅そのものは1度もやったことがなかった。見たこともなかった。お寺に行く気がしないものですから。

飯塚なるほど。そこは違いますね。僕は小学生の時から、おやじに連れられて寺に通いました。毎朝ですよ。

森本ほう。筋金入りですね(笑)。

弟子丸さんにフランスで初めて会ったのは10年ほど前です。既にヨーロッパ禅協会会長で数十万人の弟子がいるといわれていました。私は正直に「坐禅したことがない」と申しましたが、弟子丸さんは信じなかったでしょうね。そのうち「これは本当にやっていない」とわかったようですが。

ある夏、「アルプス山中で接心がある。来ませんか」と誘われましたが、坐禅できなかったら困るなと思って「行きます」とは返事しなかったのです。

飯塚「初めは処女の如し」ですね(笑)。

森本ところが、パリが暑くなって来た。そこで、「山の中は涼しくていいだろうなあ。よし行ってやろう」と。

飯塚ハッハッハ。パリの暑気が縁で。

森本行ってよかったですよ(笑)。

アルプス山中の終点の駅で、朝、夜行列車から降りると、弟子丸さんがフランス人の秘書と前を歩いていました。

飯塚終点の駅というとマッターホルンの見えるところですか、それなら僕も行ったことがあるのですが。

森本いや、フランス領なんですがスイスとイタリアに近いところです。

そこで10日間、坐禅しました、初めて。その後、ほとんど毎年フランスに行きますが、いつも坐禅のためです。去年も1ヵ月半行っておりました。頭をつるつるに剃って……。

飯塚日本のお寺ではやらない?

森本ヨーロッパから来た人たちと永平寺で坐禅したことがあります。そのほか、住職と個人的なつき合いがある寺で時々。

その住職は演劇人でもあって、最初は坊さんとはわからなかったんです。

親しくなってから、

「芝居を書かないか」

「僕はいろんなことやるけど芝居はだめ」

「主人公は道元だよ」

「道元は女のからみが全然ないからだめ」

「女のからみでやるばかりが芝居じゃない。考えといて下さい」

という問答があって、そのままになっています(笑)。坐禅には行っていますが。

飯塚女のからみといえば、空海の方がもっとないのでは? 母親とのからみ以外にはね。しかし空海はちゃんと映画になりました。

森本あれには女が出ていましたよ。映画にするには一寸出さないと(笑)。

空海の方が道元より幅が広いというか、いろんなことに手を出していますね。政治にも手を出している。だから女のからみの可能性は空海の方が道元より大きいでしょうね。

しかし、作家の水上勉さんは、「正法眼蔵のような艶のあるいい文章を書ける人が、女の人とかかわりがなかったはずがない」と言っています。これも1つの意見だと思います。

本誌カンのいい作家と、テキスト・クリティーク――テキストの批評的解読――に鋭いフランス文学の専門家が一致した。何かありそうですね(笑)。

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