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(写真出典:飯塚毅先生追悼集『自利トハ利他ヲイフ』386頁)
世界の禅のふるさと日本-7
道元とハイデガーも通じる
飯塚あれは有名ですね。
私は東北大学時代、松島の瑞巌寺に住み込んで、後に妙心寺管長になられた三浦承天老師に参禅していたのですが、老師がある日「飯塚君、東北大学の学生が来たよ」といわれるので会うと、おやじさんが東京文理大の哲学の教授で、親交のある西田幾多郎先生から「息子に坐禅させろ」と勧められた。それで瑞巌寺に来たというのです。
あとで老師に聞いた話では、「無」という公案を出され、論文を書いて出したというんですね。さらに「これはお前が習ったこと。さてお前自身の無を出せ」と迫られて退散したそうです(笑)。
森本ありそうな話ですね(笑)。
飯塚ハイデガーの『存在と時間』については、こんな話があります。
日本の高名な会計学者で、TKC全国会の最高顧問をお願いしている黒澤清先生が、ドイツから帰られて「ゾーリンゲンでびっくりした」と言われる。「どうしたのですか」とたずねると、刃物工場を見せてもらった時、工場主の部屋に通されると、この本が目についた。「これは誰が読んでいるのか」ときくと「うちの家内が読んでいる」と。
従業員5、6人の工場のおかみさんが、ハイデガーを読んでいるので驚いたというわけです。
森本なるほど。
日本では哲学が、非常に特殊なものになり過ぎているんですよね。そもそも、哲学という言葉自体、西洋のフィロソフィーに当てて作った言葉でしょう。一般の日本人がなかなか馴染めないのは無理ありませんがね。
いまの『存在と時間』にしても、何種類か翻訳が出ていますが、京都大学のある先生は「有(う)と時」と訳していて、こうでないといけない、と主張しています。
『正法眼蔵』には「有時(うじ)」という巻がありますね。
飯塚面白いお話ですね。やはり道元の禅はハイデガーと通じるところがあるのですね。
森本そう思います。
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