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世界の禅のふるさと日本-6「己を知れ」は東西共通本誌森本先生、さっきサルトルの『存在と無』と鈴木大拙先生の講演に共通点を見つけられたというお話に、飯塚先生からサルトルとドイツ観念論哲学、さらにインド思想へと系譜的なコメントがありましたが、先生の方からも説明をお聞かせ下さい。 森本飯塚先生が言われたように、哲学の問題になるわけです。 僕はその頃は知らなかったのですが、大正時代に和辻哲郎さんが『沙門道元』を、昭和に入ってからは田辺元さんが『正法眼蔵の哲学私観』を書き、日本の哲学界でも「正法眼蔵」をめぐって考察が進んでいたのですね。特にドイツの哲学者ハイデガーの影響を受けた人が注目していたようです。 そして、実存主義がはやっていた時代には、ハイデガーは実存主義の哲学者ということになっていたのです。たしかに、サルトルはハイデガーの影響を受けています。 ハイデガーの主著は『存在と時間』で……。 飯塚有名ですね。『ザイン・ウント・ツァイト』……。 森本サルトルの哲学者としての主著は『存在と無』。題を見てもわかりますね、影響を受けたことは。 実存主義の哲学が追求したことと禅の間に共通点があることは、ある程度勉強した人には当たり前だったわけです。私は、当時は知識がなかったからびっくりしたのですがね。 後に私は『道元とサルトル』を書くわけですが、日本ではドイツ哲学が主流ですから、サルトルと道元を結びつけて考えた人はあまりいなかったといえるでしょう。 では、その共通点とはなにか。簡単にいえば「自分とは何か」ということです。 飯塚「汝自身を知れ」というのは、ギリシア以来、西洋の哲学の大命題……。 森本実存主義も、自分のもとにあるものを追求しているわけです。一方、禅も「自己本来の面目」を追求しているわけですから、2つが結びついてくるのはごく自然なことですね。 飯塚「自性徹見」ともいいますね。おっしゃる通りです。 私はハイデガーの直弟子のカール・レビット教授に教わったのですよ。 森本ほう。 飯塚ナチスに追われ、一時日本に来て、東北大学で教えていました。私は福島高商時代にドイツ語の会話を教わったのですが、「東北大学の哲学科に来い」と何回も言われました。ドイツの諺に「哲学はパンを焼かない」というのがありますが、日本では哲学ではメシが食えないと考え、法科を選んだのです。レビット先生の折角の説得にもかかわらず……。 森本日本の哲学界は逸材を逃がしたわけですね(笑)。 飯塚とてもとても(笑)。 森本レビットさんの滞日は長かったですか。 飯塚間もなくアメリカに渡りました。戦後はドイツに帰られましたが。ユダヤ人ということでナチスから追われたのですね。 森本レビットさんの本はニーチェに関するものを読んだことがあります。 西洋人と禅を語ると、東北大学にいたヘリゲルさんの『弓と禅』がよく話題になりますね。 | |||||||||||||