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世界の禅のふるさと日本-8

政治家と禅――見事な仏大統領

飯塚先生のカルチャーセンターでの『正法眼蔵』講義は、8年かけておやりになったそうですね。

森本第1ラウンド8年間200回でした。いま第2ラウンドをやっています。

飯塚臨済宗妙心寺派の管長をされた山田無文老師も、『碧巌録』の講義に10年かけています。その録音テープを起こした大部の本が8巻出ており、あと2巻で完成します。

先生はいかがですか。

森本講義をもとにした本は2冊まで出しました。「どうなっている」と尋ねてくれる熱心な読者もいるのですが、あとが出ません。

僕の本を標準にすることはできませんが、いまの日本ではすぐどうかなるものでないと受けつけないという傾向がありませんか。

飯塚政治家では禅を一種のアクセサリーとして利用する人がいます。

森本そうですね。

飯塚例えば中曽根さんが東京・谷中の全生庵で坐禅しているところが写真つきで新聞、雑誌に紹介されていましたね。

森本フランスのミッテラン大統領は、来日した時、希望して京都の寺で坐禅しました。記者やカメラマンが押しかけ、写真をとろうとしたら断ったそうです。「坐禅というのは1人静かに自己に対面するためのものだから」と。

飯塚中曽根さんは逆に、坐禅をやっているところまで写真をとらせましたね。それを見て驚いたのですが、彼は目をつぶっている。坐禅は少なくとも半眼を開いてやるものです。

森本その写真がフランスの新聞にも大きくのりましたが、向うの坐禅やっている連中も、「あれ、おかしいぞ」と言っていました。

飯塚中曽根さん自身、正直に『文藝春秋』で告白しています。「なぜ竹下氏を指名したか」という文章の中ですが、「あれは坐禅もどきをやっていたんだ」と。

池田元首相も、総理になって、1週間ほど坐禅をしています。

森本それには何か根っこというか、伝統的なものがあるように思いますよ。昔の大名の中にも、そういうのがいたんじゃないか。もちろん、本物もいたと思いますが。

飯塚松江へ行った時、昔の藩公の茶室が残っているのを見ました。その名が不昧庵。禅の公案からとったものです。

森本そういう奥床しいのはいいですが、戦時中は禅が利用された気配がありますね。一高の先輩で禅を非常に嫌う人がいるのです。なぜかといいますと、その時代の校長が東条内閣で文相をやった橋田邦彦さんで、橋田さんが禅、特に道元の禅、すなわち『正法眼蔵』を盛んに説いた。しかも、この人は生徒に親近感を持たれなかった。それが一緒になって禅に対するアレルギーになったらしいのです。

飯塚それは不幸なことです。橋田さん自身も、敗戦後、責任をとって、服毒自殺していますね。

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