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世界の禅のふるさと日本-4

「人生いかに生きるべきか」と禅

飯塚先生の『禅のすすめ』によりますと、道元が臨済を批判したとありますね。びっくりしました。

森本ご存じのように道元は臨済、曹洞の両方を受けているわけです。

臨済禅を日本に伝えた栄西の弟子である明全に学び、一緒に渡宋――中国に渡った。2年して曹洞禅の如浄にめぐり合い印可を受けました。だから、道元と臨済の関係は徴妙なんですね。

非常に厳しく批判しているところも沢山ありますが、高く評価しているところも沢山ある。『正法眼蔵』を年代的に調べて、初期には臨済禅を評価したが、ある時期からガラッと変わったとする人もいます。たとえば、この間なくなられた増谷文雄先生。『道元と臨済』という著作でそういう考えを述べておられます。

さっき申しましたアルプスの10日間の接心で、弟子丸老師が取り上げたテーマが、実は「臨済と道元」でしてね。その時、増谷先生のこの本をすすめられたのです。

飯塚「臨済将軍、曹洞土民」という言葉がありますね。かつて、植木老師に「どういう意味ですか」と尋ねたところ、「臨済の方が鋭さがあるからな」という答えでした。私は曹洞禅やっていませんからわかりませんが。

森本臨済宗は上流階級、曹洞宗は百姓の帰依(きえ)が多かったので、そういう言葉がでたようですが、それは道元がなくなってずっと後のことです。

そもそも、道元自身は“曹洞宗”なんていっちゃいけないと弟子を戒めている。死後に曹洞宗が出来たと知ったら、嘆くのを通り越して怒るでしょう。“禅宗”というのもいけない。仏法というものがあるだけなんだ、ということですから。

飯塚なるほど。道元の臨済批判も、その線上で解釈すべきだというのが、先生のお考えでしょうね。

話は変わりますが、臨済宗妙心寺派の総本山の妙心寺は、4つの本山の集りでして、その1つに龍泉庵があります。庵といっても本山の1つですから、100人位は楽に泊まれる大きな寺なんです。

私たちのTKC全国会という会計人集団は、この庵を自分たちの修業道場にしています。

森本ほう。それは素晴らしい話ですね。

東大にも禅の学生サークルがありまして、それには顧問教授がいるので、僕が引き受けているのですが、三島の龍澤寺の指導で坐禅をしています。あそこは妙心寺の系統ですね。

飯塚そうです。龍澤寺の前住職中川宗淵老師は東大出身でしたね。

森本ええ一高、東大です。

いま申しましたサークルは一高時代から続いています。そして一高はかつて本郷の向ガ丘にあったので向陵。その“陵”の字をとって陵禅会というのです。東京大学教養学部には、“三昧堂”といういい坐禅堂があります。

飯塚中川老師には1度お目にかかったことがあります。

森本中川さんは一高時代は高見順と同級で親しかったようですよ。文学青年だったんでしょうね。

飯塚ほう。文学青年が後年、龍澤寺の老師ですか。しかし、わかるような気がしますよ。

やはり「人生いかに生きるべきか」を考えつめたのでしょうね。私の場合もそうですが。

本誌文学で貫いた高見順もそうですね。戦前、左翼から転向したが、その作品には醇乎たるものがあって、今も鑑賞に堪えます。

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