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漢方-8
これからの医療文化

日本の漢方のルーツ

飯塚ところで、日本の漢方はどれくらいの歴史を持っていますか。

中国では漢方薬の薬効についての基本的な考え方は、2,000年前の漢の時代に記述された『神農薬草経』に見出すことが出来ます。当時、既にある程度まで体系化されていたわけです。

日本では1,200年前の平安時代初期に、向こうの漢方関係の本が殆ど入っています。京都の仁和寺に『医心方』という本が残っていましてね。平安時代初期に編纂された中国の医書のダイジェスト版なんです。元の本は中国でも日本でも散逸してしまったので、中国の人たちも注目しています。向こうでは、王朝が代わるたびに書物が消失することが多かったですからね。

飯塚秦の始皇帝は焚書坑儒といってそれまでの思想家の本を焼き、儒者を穴埋めにしています。

王朝が代わるということは、支配民族の交替でしたからね。

本誌その点、日本は古い本が連綿として残された。遺本というのだそうです。古書業界が隆盛なのも日本だけだそうです。

飯塚そうして歴史を辿ってゆくと、日本の古代文化は韓国――朝鮮半島に淵源がある。漢方も朝鮮半島を経由したものが多いのではないですか?

韓国では漢方を東医と言います。江戸時代にも東医学の本は相当輸入されています。

飯塚そうでしょう。朝鮮人参の国だからね。古代史をみても桓武天皇の母は朝鮮半島からの渡来人の娘だったと言われている。

朝鮮半島に北から強力な騎馬民族がはいって来て、弥生時代以来、南の方にいた人たちをトコロテン式に日本へ押し出したのでしょうね。

飯塚日本の古代史は、そう考えるとよく見えてきますね。いろんな民族が日本列島で混交したんだ。

平安時代初期の日本の人口は300万人、それより1,000年前、稲作の始まった弥生時代はほぼ100万人と言われます。

飯塚その過程で渡来の人間とともに漢方も入って来た。直接中国からきたのも多いでしょうがね。

性ホルモン調節の漢方薬

本誌さて、漢方の総論について伺ってきたわけですが、各論といいますか、最後に漢方薬のいくつかについて、具体的に解説して頂けませんか。

飯塚早速ですが、私は頻尿の傾向があるのですが……。

一般論として申しますが、年をとって前立腺が肥大してくると頻尿の傾向が出てきます。ご存じのように前立腺は男性だけの器官で、尿道を取り囲み膀胱の下面と直腸に隣接しています。これが肥大してくると、まず尿が細くなったり、出渋ったりして、次に頻尿になるわけですね。

飯塚仰言る通りです。

前立腺の手術は以前のように腹を切る大手術ではなく、尿道を通って行なえるようになりました。しかし、漢方で肥大の進行を食い止めることが出来ます。これには五淋散や牛車腎気丸が用いられていますが、胃腸の弱い人がやたらに服用すると食欲不振を呼びますので注意しなければなりません。

若い時の道楽の後遺症などで、排尿痛や尿道炎を伴っているときは、大黄牡丹皮湯(びとう)や桂枝茯苓丸(けいしぶくりようがん)や竜胆瀉肝湯(しゃかんとう)などが用いられます。

飯塚難しい名前ですね。しかし、漢字の字面からなんとなく想像されるところは親しみが持てる(笑)。

本誌化学用語を羅列した西洋医学の薬よりは親しめますね。ついでに性ホルモンの方はどうでしょう。

動物は大体、性ホルモンを自前で作っていますが、人工的に作るときは植物が原料で、西洋医学で使われるホルモン剤もほとんどそうなのです。リューマチなどに使うステロイドホルモン、更年期障害のとき注射する女性ホルモン、避妊に利用されるピルなどはみな植物から取り出されます。

原料になる植物は自然薯などヤマイモの類に多く含まれています。

飯塚なるほど。ヤマイモを食べると精がつく、とされていますね。

漢方では更年期障害のように年齢に伴うホルモン異常の場合は、辛い症状が出ていてもホルモンを含む薬を補うことはしません。アクセルやブレーキが悪い車にガソリンを補給しても動かないのと同じですがらね。

そのかわり歪んだホルモンのバランスを調節するような薬を与えます。またホルモンと自律神経の調節中枢は隣り合っていますから、この両者を同時に調節するように処方をもってゆきます。近年、漢方薬にこの作用があることが証明されました。

飯塚西洋医学の薬と漢方薬の考え方の違いがよく分かるお話ですね。

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