飯塚毅博士アーカイブ
プロフィール植木義雄老師との出逢い飯塚毅会計事務所と巡回監査飯塚事件TKC創業とTKC全国会結成
法改正への提言DATEV創業者 Dr. セビガーとの交友研究業績飯塚毅博士の言葉著作物・講演記録
ホーム
 
追悼座談会
飯塚毅先生との出会い
飯塚毅博士と私
バンガード対談集

飯塚毅博士と私

臨済宗妙心寺派本山の教学部長という権威ある地位から、最近までに200版近くを重ねる名著『般若心経入門』に代表される盛んな著作活動、さらに南無の会会長。“現代の辻説法師”として老若男女数多くの人々にも親しまれている松原先生。
 一方、飯塚先生も学生時代以来、禅の研鑚を積まれ、妙心寺の本山の1つで責任役員をされていらっしゃる。
 禅あるいは仏教を語ればお話は尽きないと思いますが、きょうは、「教育」をめぐって、お話し合い頂ければ有難いのです。
 と申しますのは、周知のようにわが国の教育は、「日本の近代化における成功は教育が原動力」と世界的に高い評価を受ける一方、高度成長のひずみが噴出する場になって久しく、それは偏差値に代表される受験戦争から校内暴力、最近ではいじめとなって重症化しています。
 いま臨時教育審議会が制度面を中心に、正常化の方策を探っていますが、そうした対症療法でなく、もっと深いところから問題の解決策を示唆して頂きたいと思います。(木場本誌編集主幹の挨拶から)

教育の根底に“宗教的心情”を-1

対談者(敬称略・順不同)
 松原泰道(臨済宗元教学部長・南無の会会長)
 飯塚  毅(TKC全国会会長・公認会計士・税理士)
 ※肩書きや発言内容は対談当時のまま掲載しています。

(まつばら・たいどう) 明治40年東京生まれ。早稲田大学文学部卒。岐阜県瑞龍寺で修行、臨済宗妙心寺派の教学部長をつとめたあと、著作活動に入り、難解な経典のエッセンスをかみくだいた著書は広く読まれ、代表作の『般若心経入門』は、200版近くを重ねるベストセラーになった。「南無の会」会長としてつづける。“辻説法”は若い人をひきつけ、現在、全国約20の喫茶店で毎週1回ずつ開講している。著書は他に『父母恩重経を読む』、『禅語百選』、『観音経入門』、『法華経入門』など多数。

師資相承の有難さ

飯塚先生の多くのご著作のうち、私は『般若心経入門』と『父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)を読む』に感銘し、繰り返し拝読させて頂いておりまして、こうして直接お話を伺う機会を得たことは大変幸福です。

般若心経は276文字に仏教の精髄がこめられた最高のお経ですね。その解釈本は少くとも100以上ありますね。古くは弘法大師空海の『般若心経秘鍵』、戦前では高神覚昇師の『般若心経講義』が有名ですが、先生が『般若心経入門』で、サンスクリットかパーリー語かは存じませんが、漢訳以前の原本からの翻訳にさかのぼり、それを現代の読者の心にひびくよう、口うつしの親切さでお書きになっておられるのは、先生が初めてだと思うのです。

「父母恩重経」の方はもっと早く、東北帝大に入学する前の学生時代、福島市外の山中にある満願寺にお世話になっている時に読みました……。

松原ああ、満願寺、私も本山から用事で行ったことがあります。ドウリットルの東京空襲のあった頃ですから昭和17年に。大変寒いところで、坐禅はさぞ………(笑)。

飯塚私がお世話になっていたのは、そのちょっと前です。その満願寺で「父母恩重経」にめぐり合い、泣きながら読みました。さらに先生の『父母恩重経を読む』にめぐり合い、その深い内容に感動しました。車の中で拝読する時など、運転手にわからぬよう、ハンカチを顔にあてて泣くこともあるほどです。

松原飯塚先生のような大家に、そうまでおっしゃって頂くと恐縮です。著者冥利に尽きるとはこのことでしょう(笑)。

飯塚満願寺に松島・瑞巌寺の三浦承天老師が来られた時、私は接待役をつとめさせられ、その縁で大学生時代の後期はずっと、瑞巌寺の食客のような形で毎日朝昼晩の参禅でした。

松原三浦承天老師は、戦後に有名な山本玄峰老師を継いで妙心寺の管長をされました。当時、私はそこの教学部長で……。

飯塚それは奇縁だ。三浦承天老師は松島の盤龍老師の弟子ですね。

松原その盤龍老師は私の父の伯父で、私には大伯父にあたります。私の家の方が分家なんです。父は盤龍老師の弟子でした。

飯塚すごい坊さんだったそうですね。

私が少年時代から弟子にして頂いた那須・雲巌寺の植木義雄老師も500年間出といって素晴らしい師匠でした。私は死去されるまで32年間仕えましたが、「この師匠のためなら命もいらない」と打ちこんだものです。

松原そういえば、先生にはなんとなく植木老師の雰囲気がありますね、口跡など(笑)。老師は毒舌家でしたが……。

飯塚私もいつまでも野人なんです(笑)。

松原私は教学部長の時、用事で雲巌寺へ参りまして、老師にお目にかかりました。

飯塚ほう。

松原バスが2時間遅れましてね。老師は玄関で2時間待たれたそうです。私はまず本堂へあがりお参りしてからお会いしたのですが、老師は「あまり遅れたから上にあげないつもりだった」と………(笑)。

飯塚ずばずばモノをいうお方でした。

松原帰る時、ちょうどやぶ入りの日とかで、町へゆく若い人でバスが満員になって、私は乗れそうにない。急いでいたので困ったと思っていたら、老師が「お前たちはどうせ遊びにゆくのだろう、1人おりなさい」。すると着飾った娘さんが1人おりてくれました。その娘さんには気の毒でしたが、私は「この坊さんは偉いな」と(笑)。

とにかく、飯塚先生は素晴らしいお師匠をもたれましたね。

飯塚禅は師資相承ですからね。私はまことに恵まれていたと感謝しています。

 1   2   3   4   5   6   7   8  次ページ
(1/8)