
ホーム > [飯塚毅博士と私] バンガード対談 > 教育の根底に“宗教的心情”を-6
(写真出典:飯塚毅先生追悼集『自利トハ利他ヲイフ』386頁)
教育の根底に“宗教的心情”を-6
「作法これ仏法」という道元の教え
松原道元禅師は、ご承知のように「作法これ仏法」と強調し、弟子の日常生活を綿密に規定しました。
飯塚そうですね。百丈清規のように。
松原日本人は敗戦で、悪い旧慣を破壊してもらいました。そのあと、新しい“形”をつくり出さねばならなかったのに、それが不充分なまま経済に専念して、ここまできてしまった。木場さんのご心配、飯塚先生のご焦慮も、そこにあるわけでしょう。
飯塚その通りです。
松原この夏、雲仙で経営者の研修会がありました。そのホテルの公衆浴場で、私が、小さい時からたたきこまれている通り、あとの人の迷惑にならないよう石鹸や腰かけを片づけようとしていると、小学上級か中学生くらいの子どもさんも、ちゃんと片づけているのです。
「今どきこのようなしつけをする家庭がまだあるんだな」と思ってよく見たら、日本人の子どもではないのです。色が浅黒くて……。
翌日もやはりホテルで、バイキングの食堂に入って皿をとろうとすると、その子が皿とフォークとスプーンを渡してくれるのです。「有難う。君どこからいらしたの」とたずねたが日本語が通じない。ボーイさんが来たのできくと、「台湾の観光団の一行のお子様です」という答え。私は「負けた」と思いました。
日本人は大人でも、この子のように振舞わないでしょう。
飯塚うむ。
松原新幹線でも、東京へ着いたあとの席の乱雑なことはどうですか。
この間、相席した新婚さんがそうでしてね。私は新婦が先に入り口に歩いて行くのを見届けて新郎の方に「大変申しあげにくいが、私が手伝うから、このゴミを少し外のゴミ箱に持ってゆきませんか。あなたも、いずれお子様をお持ちになるわけだし、子どもは親を見て育ちますからね。折角の楽しいハネムーンの気分をこわして済まないけれど、親戚にやかましい伯父さんがいたと思って……」と2人で3回往復して片づけました。
そこへ掃除の人がきたので降りたのですが、向うで新婦さんが待っていて、2人でこちらを振り返って去りましたが、「いいことを教えてもらって有難う」ではなく、「あのクソ坊主、余計なことを言って……」という感じが背中に出ていました(笑)。
飯塚お気持ちお察しします(笑)。
お寺さんで育った子は、円覚寺の朝比奈老師がよくいわれた「潜行密用(せんごうみつゆう)」をちゃんとやっていますね。
私のように在家に育ったものは、なかなかそのようにゆきません。
前ページ 1 2 3 4 5 6 7 8 次ページ
(6/8)