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教育の根底に“宗教的心情”を-4

仏法離れ、寺離れ

本誌話は変わりますが、松原先生は「南無の会」会長で“現代の辻説法”と呼ばれるユニークな活動をつづけておられます。その由来、また若い人の反応などについてお話し下さいませんか。

松原あの喫茶店での“辻説法”を考えつかれたのは、池上本門寺の酒井謙祐さんで、12、3年前のことです。酒井さんは「日蓮上人がいまのような世に生まれておられたら、やはり街頭に出て辻説法されたであろう」と思い立たれ、その場所は喫茶店、そして同じやるなら竹の子族の集まる原宿で、ということになったのです。

飯塚面白い発想ですね。日蓮宗の人々は行動的だ。思い立ったらすぐに実行に移すところが素晴らしい。

松原渋谷の神宮前6丁目ヤシカビル(現・京ビル)地下の喫茶店を毎週水曜の夕方6時から借り切ってやっています。その名も“茶坊ナーム”――「南無妙法蓮華経」「南無阿弥陀仏」の南無を取ったものです(笑)。

飯塚それはうまい命名だ(笑)。

松原酒井さんから、そのころ「来て話をしてほしい」という依頼がありましてね。私は、砂漠のような東京、それも原宿のようなところで法話が成立するかどうか自信がありませんでしたが、とにかく出かけました。

行ってみますと、狭い喫茶店に若者を中心に7、80人集まって、通路まであふれているのです。「若い人はこんなに何かを求めているのか」と驚きました。さっきの話でゆけば、私は若者を読み間違えていたのです。

飯塚なるほど。先生のような方でもね。

松原酒井さんも初めは「相手は若者だ」と意識して音楽やダンスもとり入れるといった趣向をこらしたのですが、2、3回であきられた。そこで「本職の説法中心でゆこう」ときめ、それが当たったのです。今では全国で20幾つの喫茶店で同じようなことをやっています。そのための組織として「南無の会」が昭和47年に発足し、私は間違って会長を仰せつかったのです。

飯塚うむ。話をする人はみな坊さんですか。

松原講師陣はいま5、60人にのぼりますが、坊さん、あるいは宗教家は案外少ないのです。といってミーチャン、ハーチャンが喜ぶ芸能人はだめで、森繁久弥さんのように苦労した人の人生論が傾聴されます。

この“辻説法”の成功について、なぜかとよくたずねられますが、うまく答えられません。ただいえることは、人生論に学ぼう、あるいは宗教的なものに触れたいという若者も、寺には来ないのですね。

逆にお寺で法事や葬式をちゃんとやっている檀徒は、自己啓発のためのこういう場には出て来ません。

仏法離れしていないが寺離れをしている若者と、寺離れはしていないが仏法離れをしているかもしれない年配者、そして両方から離れている人――この3つがありますね、私の立場から見ますと……。

飯塚なるほど。

松原現代の相対主義からくる行き詰まりを打破するためには、これまでと違った発想が必要です。ということは、結局、世界観、人生観が問題になるわけですね。そこに、相対を脱して絶対を追求する禅の出番があるわけです。

10年もやっていますと、人生論的な話だけでは満足できない人も出てきたので、週に1回坐禅する“円のつどい”、念仏をとなえる“土のつどい”、お題目をとなえる“水の会”などのグループもできました。

これは数からいえば一にぎりにすぎませんが、この人たちがなんとか世の中を守っていってくれるのではないか、と私は期待しています。「人間を救うのは人間」です。

飯塚本当です。それは至言だ。

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