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教育の根底に“宗教的心情”を-8

潜在意識の中に大事なことを埋め込む教育

飯塚陰湿化というのはいけませんね。堂々とやって、やられた方も堂々と抵抗するか、堂々と泣くならいいんですが。

松原東大教育学部の稲垣忠彦教授がこんなことを書いておられるそうです。孫引きですが……

――アメリカでは、子どもが自主性をもつ段階をはかるのに“mature”という言葉を使う。日本では成熟すると訳しますが、成熟というと、おませというニュアンスがある。アメリカでは、そうでなくて、どの程度判断力をもち、多角的にものを考え、相手の立場を考えることができるか、責任をもてるか、また1つの問題に集中できるか、これらの力をたくわえるのが。“mature”ということなんだそうです。

日本の子どもたちにどうして自主性をもたせるか、速成栽培的な方法はないわけですが、あえて仏教の言葉を使えば、凝視ということですね。

飯塚『父母恩重経を読む』の中に、「本当の信心を持つようになると、自分の心がよく見えるようになる」というくだりがありましたね。

本誌それはこわいことでもありますね(笑)。自分の弱さ、醜さまで見すえることになるから。

松原仏教の思想で私が一番ひかれるのは、「仏は全知全能でない」ということです。自己の中のマイナス部分をよく自覚するのが仏でしょう。われわれ凡夫は、どうにもならぬことをどうにかしようとして迷いになるが、もう1つ上の立場でどうにもならぬと確認すれば、そこにおのずから救いがある。もちろんこれは観念でなく、体験しなければなりませんがね。

過激な言い方かもしれませんが、若い時に1度や2度自殺を考えるのは、1つの健康な生き方でもあるのです。まじめに生きておれば1回や2回矛盾を感じて自殺したくもなるはずですからね。

飯塚おっしゃる通りです。

エッケルマンの『ゲーテとの対話』の中に、「幾たびか涙と共に夜着の袖を噛みながら寝たものでなければ、本当のパンの味はわからない」という表現が、ゲーテの言葉としてあります。

松原「泣いてパンを食べ、枕のカバーを濡らしたものでなければ……」というくだりですね。

弘法大師空海も修行中、四国の室戸岬で自殺を考えているのです。

実は私も何回か自殺を考えたことがあるのですが、その室戸岬での坐禅で、人間の考えなんてちっぽけなものだ、と悟りました。

そうしたものを潜在意識に与えておかないと、いまの若い人のように、パッと自殺することになる。

飯塚その通りです。潜在意識として幼児期に何かを与えておくことですね。

空海は『性霊(しょうりょう)集』の中で「機に臨みて幾たびか泣く」と書いています。あんな偉い人でさえ死を考えて泣いているのです。

松原歌人で詩人の高田敏子さんと自殺をめぐって対談した時、「高田さんもその経験ありますか」ときくと「ありますよ」ということでした。

自殺する前、身体を洗い下着をとりかえて最後の化粧をしたそうです。その時、髪が額にかかった。その時はなんとも思わなかったが、爪をそめる段になって爪がのびているのを見た時、「死のうとしている私を爪が伸び髪が伸びて守っていてくれたのか。自分は間違っていた」と悟ったそうです。そういう気持がどたん場でわき上がってくるように、親や大人が子どもを育てておく必要があります。

飯塚私は、子どもが小さい時、仏壇の前に坐らせ、お経をあげさせました。これは、潜在意識の中へ宗教的心情を植えつけたわけですね。教育においては、おっしゃるように、大事なことを潜在意識に入れてやることがポイントですね。

ショウペンハウエルも、「人間の行動をきめるのは、知性ではなく潜在意識だ」と書いています。

潜在意識の中に、そっと大事なことを埋めこんでおいてやる。それが小さい子どもを教育する上での急所ですね。

松原私はそれを「子の心の中に1粒の種をまいておこう」と説いています。

本誌お2人から体験と学識に裏打ちされた貴重なお話をお伺いすることができました。どうも有難うございました。

(編集主幹・木場康治)
(VANGUARD 1986年2月号より転載)

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